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テニス浦島太郎 8年ぶりにテニスをまたはじめた40代のおじさんです。最近のテニスの変貌ぶりに驚きつつも、いかに上達できるか、日記にしています。

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1996 伊達公子選手突然の引退

*参考:テニスジャーナル1996 12月号

1996を振り返って・・・

日本のテニス界に残る名勝負、歴史的勝利、フェドカップ対グラフ戦、ウィンブルドンベスト4。
1996年の伊達公子選手は素晴らしい実績を挙げています。
ところがその年に引退を表明、競技の舞台から去ります。
テニス界の関係者は
「よくやった、いいときに辞める判断をした」
「まだやれる、あと数年できる」
と意見がわかれていました。
そんな中で伊達選手の両親は、伊達選手自身が考えたことなので了承して欲しい。本当によく努力し立派な成績を残してくれたと思う。また、プロテニスプレイヤーから1人の若い女性に戻る娘を静かに暖かく見守って欲しいと答えています。

当時フェドカップのグラフ戦を見ていて驚いたことがあります。
グラフのフォアハンドストロークは威力、安定性を兼ね備えた当時世界屈指のものでした。
おぼろげな記憶ですが、試合はフォアのクロスの打ち合いとなる展開が多く、グラフがクロスに深く打ち込んでくるのを伊達選手は全く打ち負けることなくクロスへ深く返球していました。
そのためグラフの攻撃の展開を封じ込めていました。

そんな試合を見てしばらくして引退、やはり驚きました。

ただ1992年世界のトップクラスへ飛躍していく年、テニスジャーナル誌のインタビューで、
選手生活はあと4~5年という考えだったようです。
「一応女ですからね、結婚もしたいので、そのくらいには終わりにしたいなと」
将来を暗示する発言がありました。

1996年の引退は1992年に考えていた伊達選手のロードマップ通りの行動だったのかもしれません。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 12:00 | コメント(0)| トラックバック(0)
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