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テニス浦島太郎 8年ぶりにテニスをまたはじめた40代のおじさんです。最近のテニスの変貌ぶりに驚きつつも、いかに上達できるか、日記にしています。

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イスラエル戦初日 観戦

デビスカップイスラエル戦初日を観戦しました。

デビスカップ観戦は約30年ぶり…
前回は田園コロシアムでのインド戦でした。
田園コロシアムって知ってますか?

さて昨日の試合、
添田選手の素晴らしいプレー、感動しました。
ファンになりました。
想像以上にパワフルできれいなフォームのテニス。

フォアハンドのクロスは凄いキラーショットです拍手

下は昨日の有明、写真デカすぎ

ariake
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:00 | コメント(3)| トラックバック(0)

がんばれフェデラー!

今日はウィンブルドン2012 男子シングルス決勝の日。

フェデラー VS マリー

フレッド・ペリー以来の英国勢優勝を期待する声も大きいですが

やっぱりフェデラーに勝ってほしい。

フェデラーが生まれた年、
1981年はあの有名なボルグ対マッケンロー2度目の激闘の年。

6連覇を絶たれたボルグはわずか26歳で事実上の引退をします。

2008年ウィンブルドンでナダルに6連覇を阻まれたフェデラー

でも今日そのプレーを私達に魅せてくれているフェデラー

きっと今日はいい日になるはず!

federerwin
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 21:56 | コメント(2)| トラックバック(0)

ボロテリーの姿が

昨日の錦織 VS デル・ポトロ

スタンドにあのニック・ボロテリーの姿がありました。

もちろん錦織選手のブレーンとしての観戦だと思います。

偉大な革新者、ボロテリーは今日のテニス界に最も影響を与えた人物であり、さらにこれからの未来のテニスにも影響を与える人物でもあります。

以前のウィンブルドンは、サーブ&ボレーが勝利への近道でした。
それがボロテリーの計画的な挑戦により打ち破られます。
その計画的な挑戦については以下の日記をお読みください。

2008年9月17日の日記
「サーブ&ボレーが消えた理由1 ボロテリーの存在」
category archive 昔テニス


ボロテリーが錦織選手の未来をどのように見据えているのでしょうか。
この聡明で洞察力に優れた人物が、錦織選手のプレーにどのような助言を与えているのかとても興味があります。

私は錦織選手の手本、原型はジミー・コナーズではないかと推測しています。

connors

ジミー・コナーズの特徴
・サービスリターンの天才
・ライジング打法(フラット、スライス主体)
・スリリングな試合運び(意外性)
・サーフェスを選ばないオールラウンドなプレー

コナーズに欠けていたもの
・ビッグサーブ
・キラーショット(フォアハンド)

トップスピンを打つジミー・コナーズ
それが錦織選手のグランドスラムタイトルをとるときの姿。
そしてコナーズにはないキラーショット、ビッグフォアハンドがあります。



トップ選手 | 投稿者 モモビラス 08:49 | コメント(0)| トラックバック(0)

錦織選手 サーブが・・・ ウィンブルドン2012

昨夜テレビ観戦しました。
ウィンブルドン2012 男子シングルス3回戦
錦織 VS デル・ポトロ

結果は 3-6 6-7 1-6 で敗戦。
残念でした。

最終セットは力尽きていた感じでした。
やはりまだコンディションが良くない感じが、テレビで見ていても伝わってきます。

サーブの出来がかなり悪かった。
錦織選手らしいキレがあまりありませんでした。

とにかく1stサーブでネットにかかるフォルトが多く、サイドに鋭く切れるサーブが鳴りを潜めていました。

ただしあらためて感じたのは錦織選手の読みの良さ。
デル・ポトロのあのサーブ、かなりコースを読んでいて確実なリターンをしていました。
以前の日記にも書いたのですが、錦織選手はジミー・コナーズを彷彿させるものがあります。

一方のデル・ポトロですが、バックハンドスライスのキレと、それに伴うアプローチの際のステップワークの華麗さに目を見張りました。
懐かしのステファン・エドバーグを思い出します。

delpotoroback
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

目視最速のサーブ

私がこの目で見て最も速いサーブを打った選手。

それはマイク・リーチ。
NCAAチャンピオンで左利きの選手でした。
リック・リーチのお兄さんです。
リック・リーチは全豪・全米・全英ダブルス優勝の名選手。

目撃した場所はセイコーワールドスーパーテニス。
代々木体育館の特設コートで、たぶん1985年ぐらいだと思います。

mikeleach

ATPの選手紹介
http://www.atpworldtour.com/Tennis/Players/Le/M/Mike-Leach.aspx

セイコーに出場していたということは、結構強い選手であったと思われます。
マイク・リーチが打ったサーブは、サービスコートにバウンドして、なんと後ろのボックス席に飛び込みました。

幸い人はいませんでした。
あれを食らったら救急車です。

当時チップ・フーパーが240キロの最速サーブを打つ選手として知られていました。
チップ・フーパーも同じ大会に出場していて、そのサーブを見ましたが、ボックス席に飛び込むことはありませんでした。

あの音、
あの弾道、
今も忘れることができません。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 10:51 | コメント(0)| トラックバック(0)

ダブルス名選手 ナターシャ・ズべレワ

プロテニスの試合で、一番見て面白いのは女子ダブルスだと思います。
ダブルスのセオリーを実践する試合運び+プロらしいひらめき、アマチュアにとって最も参考になります。

そんな女子ダブルス
私が最も好きな選手はナターシャ・ズべレワでした。

zube1

全豪ダブルス 3勝
全仏ダブルス 6勝
全英ダブルス 5勝
全米ダブルス 4勝

とてつもない実績、テニス殿堂入りしている名選手です。

とにかく天才肌のプレーで、ときおり見せる「ひらめき」は見ていてハッと思わされる、センス溢れるプレーをします。

またセオリー通りにクロスへ沈めるショットを続けたり、意表を衝いたプレーの織り交ぜ具合の素晴らしさ、とにかくお洒落なプレーでした。

オーソドックスなプレーのジジ・フェルナンデスとのペアはとても強く、このペアの試合は見ていてほれぼれするものでした。

私はこの人のプレーを結構真似しています。
皆様にもお勧めします。
きっとテニスセンスに優れた人と周りから思われます。
もちろん私はセンスがありません。

そのズべレワの才能の証し。
まだ若いズべレワの才能を見出し、ダブルスを組んでいたことがあります。
あのマルチナ・ナブラチロワが!

zube2



トップ選手 | 投稿者 モモビラス 08:59 | コメント(0)| トラックバック(0)

伝説の選手 ボルグ その2

偉大なその実績

1973年 17歳でウィンブルドンベスト8
 甘いルックスからイギリスの女性ファンを魅了します。
 デビューしたときからウィンブルドンに愛されていました。

borgyoung

宿敵コナーズとの対決
 1974年から1981年事実上の引退まで続きます。

borgconnors

1974年
 全仏優勝 当時史上最年少18歳での優勝
 今日まで続くトップスピン打法の幕明け。
1975年
 全仏優勝 2連覇
1976年
 ウィンブルドン初優勝
 全米準優勝 フォレストヒルズで開催のクレーコートでコナーズに敗退
1977年
 ウィンブルドン優勝 2連覇
 コナーズをフルセットで破る。
1978年
 全仏優勝 3度目
 ウィンブルドン優勝 3連覇 コナーズを破る
 クレーコートの全仏から芝のウィンブルドンへ
 わずか1か月で適応し優勝する快挙。
 全米準優勝 初のハードコート開催、コナーズに敗れる 
1979年
 全仏優勝 4度目、2連覇
 ウィンブルドン優勝 4連覇


スポーツ史に残るライバル対決
ジョン・マッケンローとの死闘が繰り広げられる2年間

borgmac

1980年
 全仏優勝 5度目、3連覇
 ウィンブルドン優勝 5連覇
 テニスで最も有名な試合、マッケンローとの激闘。
 全米準優勝 マッケンローにフルセットで敗退
 1974年からコナーズが守り続けていた、
 ATP年間ランキングの1位についに輝く。

borg1980

1981年
 全仏優勝 6度目、4連覇
 80年代に君臨するハードヒッターレンドルにストレート勝ち。
 ウィンブルドン準優勝
 2年連続でマッケンローとの死闘、ついに負ける日が。
 全米準優勝 またもマッケンローに敗退
 この後長期休養に入る、ボルグ事実上引退の日。

borg1981

ウィンブルドンの女性に愛されたボルグは、
全米オープンの勝利の女神に嫉妬されていたのかもしれません。

全米オープンは暗くてボールが見にくいナイター、
そのためボールを凝視して捉えるボルグの苦手な会場でした。

不満を言わないボルグが、
ロスコ・タナーのビッグサーブの前に敗退したとき、
珍しくボールが見えないと不満を言っていたのを憶えています。

トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

伝説の選手 ボルグ その1

ビヨン・ボルグ
誰にも打ち負かされずに引退した選手

1970年代後半から1980年代前半はテニス黄金時代
世界的テニスブームの象徴的存在

バイオメカニクスに優れた打法は、
フェデラーナダルといった現代名選手の原型でもあります。

borgforehand

この偉大な選手が今日のテニスに与えた影響

体幹の回転運動によるフルスイング打法

鍛えられた強靭な肉体

広大なエリアをカバーするフットワーク

長時間の試合でも疲れを感じさせない持久力

極めて安定した精神状態
常に最高のプレーを引き出すメンタル

borgfore

とうとう誰も打ち負かすことはできませんでした。
あの80年代最高のハードヒッター、レンドルでさえも。

1981年全米オープン決勝でマッケンローに敗れ、
ボルグは燃え尽きます。
まだ25歳でした。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 07:39 | コメント(0)| トラックバック(0)

有名な表彰式 ウィンブルドン1993

私はウィンブルドン決勝後の表彰式が好きです。

必ずテレビ中継されるこの表彰式、
とても落ち着いた雰囲気の中、
優勝者の知性や対戦相手への思いやりなど、
一流のスポーツ選手らしい人格を垣間見ることができる、
とても素晴らしい瞬間です。

ウィンブルドン表彰式で最も有名なエピソード

それは1993年女子シングルス決勝の表彰、
準優勝ヤナ・ノボトナの涙のシーンです。

novotona1

「今度はあなたも勝てますよ」

ケント公夫人のこの有名なひとこと、
この言葉でノボトナはケント公夫人に抱かれて涙します。
試合はあと2ゲーム取ればノボトナの優勝でした。

下の写真は1998年の表彰式
ケント公夫人の言葉が現実となった日です。


novotona2
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 06:11 | コメント(0)| トラックバック(0)

コーチのお手本 ビタス・ゲルライティス

ベテランコーチの華麗なテニス、
力が抜け、スムーズなスイング、絶妙なタッチ、
そしてされげなく流麗なプレー。

その華麗なベテランコーチのお手本

ビタス・ゲルライティス

gerulaitis

こんなにかっこいいテニスはありません。

ゲルライティスのテニスは受け継がれています。

ゲルライティスからベテランコーチへ
ベテランコーチから若手コーチへ

ゲルライティスの華麗なプレーは、
今日テニスコーチのプレーにその面影を見ることができます。

gerulaitis2

1975年 全英ダブルス優勝
1977年 全豪シングルス優勝
1978年 全英シングルスベスト4
1979年 全英シングルスベスト4
1979年 全米シングルス準優勝
1980年 全仏シングルス準優勝

あらゆるサーフェスで対応できるオールラウンドなテニスでした。

あまりにもさりげなくスムーズなプレーなので、
なかなか気が付きにくいのですが、

恐ろしく素早いフットワーク

極めて素早い反応のネットプレー

無駄が一切ない完璧なサービスフォーム

5年早く生まれていたらグランドスラムを達成した選手。

1974年、テニスは大きな変化をしました。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 08:40 | コメント(0)| トラックバック(0)

野球帽と集中力

1990年代ナンバー1のハードヒッターであり、
世界ランキング1位だったジム・クーリエ。
トレードマークは試合でかぶる野球帽でした。

クーリエ

クーリエはここ一番の局面で、
かぶっている野球帽に手をやり、
つばの部分をつかんでグイッと深くかぶり直します。

この仕草が出ると、
そのあとサービスエースやストロークエースを連発、
スポーツ選手が
「能力を最大限に発揮している」と感じる瞬間の心理状態
IPS - Ideal Performance State
に入っているかのように見えました。

下の動画はフレンチオープンでのクーリエの姿です。



トップ選手 | 投稿者 モモビラス 09:40 | コメント(15)| トラックバック(0)

1970年代最高のストローク戦

おそらく若い方やテニス歴の浅い方は、
下の映像を見てもピンとこないと思います。

これが当時最高のショットメーカー
ボルグ対ビラスのクレーコートにおける最高峰の打ち合いです。

今と違うのはラケットに起因するところが大きいです。

・打球速度が今より遅い
・ストロークのコースをあまりきわどく狙わない

といった傾向があります。
強いトップスピンは高く弾み、重い球質であることから、
パッシングショットの名手である二人は、
対戦相手に簡単にネットプレーを許すことはありません。

この時代の代表選手、
コナーズ、ゲルライテス、ゴットフリード、タナー
これらの選手と比べると、
フォームも打球の弾道もかなり違います。

以下の二つの映像を見比べてください。
①ボルグ対ビラスの力比べ、当時最高峰の打ち合い
 (1978年フレンチオープン決勝)
②ビラス対ゴットフーリード
 トップスピンの打ち合いを回避し、
 多彩なテクニックで勝負するゴットフリード
 (1977年フレンチオープン決勝)

①ボルグ対ビラス



②ビラス対ゴットフーリード


トップ選手 | 投稿者 モモビラス 15:18 | コメント(0)| トラックバック(0)

フェデラーをいつまでも見たい

2012年のフレンチオープン準決勝でフェデラーが敗退しましたが、そのプレーを見るだけで満足な私。
40歳ぐらいまで現役を続けて欲しい。

2008年のウィンブルドン決勝でナダルに敗れた後、
フェデラーは一時意欲低下に陥ったようです。
そんな彼が今日まで現役でプレーを楽しんでいることがとても嬉しい。

下の動画は、
フェデラーの神業が凝縮されたスーパースロー映像です。
ブロガーpuruminさんから教えてもらったこの動画、
いったい何回見たことか。
一緒に堪能しましょう。

トップ選手 | 投稿者 モモビラス 07:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

ナダルの原型2

ラテン系ストローカーの代表 ナダル
ラテン系ストローカーの原型、お手本 ビラス
古今の写真を見比べました。

ナダルとビラスの2ショット
vilas nadal 2shoto

ビラスとナダルのフォアハンド
vilas_forenadal_fore

ビラスとナダルのバックハンド
vilasback2nadal_back

トップ選手 | 投稿者 モモビラス 14:45 | コメント(0)| トラックバック(0)

ナダルの原型

久々の投稿です。

だいぶ前の記事でも書いたことなのですが、
現代トップスピン打法の元祖はボルグとビラスであることは知られています。
1974年に世界のトップクラスに躍り出た二人、もう40年近く前になります。

名選手パット・キャッシュ(1987年全英優勝)のインタビュー記事によると、
アンツーカーで強かった歴代TOP3として、
1位 ナダル
2位 ボルグ
3位 ビラス
の名前を挙げています。

パット・キャッシュは、
現代のラテン系ストローカーのお手本はビラスであると述べています。
私も1970年代後半からテニスを見てきましたが、
このキャッシュの見方はうなずけるものがあります。
なぜかビラスとナダルは風貌も似ていて、
ビラスの持っていたクレーコート53連勝の記録を破ったのはナダルです。

YouTubeで french open tennis 1978
と検索しますと、
1978年フレンチオープン決勝 ボルグ対ビラス
の映像を見ることができます。
二人は現代ではごく当たり前の、
「高い打点からフルスイングのトップスピン」
を互いに打ち合っていますが、
この時代、神様ボルグにまともにトップスピンで打ち合える選手はビラスしかいません。

二人のプレーをよく観察すると、
現代テニスの打法がすでに取り入れられていて、
ナダルが時折見せる打法がすでにこの時代からあることがわかります。

打球スピードは現代より遅いですが、
この時代は小さなラケット面の重くて飛ばないウッドラケットの時代です。
それでも猛烈に高く跳ね上がる打球をみると、
若き二人の打法がやがて世界を席巻することはよくわかります。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:35 | コメント(0)| トラックバック(0)

福井 烈 最強1980-2011年(2)

とにかく記録づくめの選手時代。
・柳川高校時代、169連勝、インターハイ3連覇
・中央大学時代、全日本学生単複優勝、そしてプロ転向
・全日本選手権7度優勝
・全日本ランキング9年連続1位

ストロークの名手で、フットワーク、スタミナそして精神的に安定していて、見ていても負ける気がしない感じでした。
パッシングショットが異常にうまく、面白いようにネットにつく相手を抜いていました。
決して力に頼ったショットではなく、絶妙のコントロールでストレートにもクロスにも抜いていきます。
ストロークはスルスルと伸びていき、相手のベースライン深くに入ります。
小柄な選手でしたが、強いスピンサーブを持ち、リターンからの攻撃を封じ込めていました。

ただすでに時代はかわっていて、国際大会に出場すると、福井選手のテニスはすでに異端の部類に属し、海外の選手は現代打法の恩恵をさずかっていました。
そんな福井選手ですが、海外のサテライトサーキットで活躍するなど、時代の変化にもかかわらず自分のスタイルで実績をおさめています。

福井選手の試合で印象深い試合は2つ。
①デビスカップ インド戦 対ラメシュ・クリシュナン
田園コロシアムで行われた試合、独特のボールタッチで相手を振り回すクリシュナンは、たぶん当時世界ランキング100位以内の強豪。
試合は緊迫したストローク戦でフルセットの激戦のすえ福井選手は惜敗しています。

②サントリーカップ ミラスロフ・メシール戦
トップランカーのメシールとのストローク戦は、スルスルと深く伸びる福井選手の打球に、メシールは戸惑いをみせ攻めきることができません。
試合は結局メシールが勝ちますが、大柄ながらビッグキャットと呼ばれ、相手のショットの威力を利用するタイプのメシールは、似たタイプの福井選手との対戦でかなり苦しんでいました。

グローバル化された現代と価値観も違い、日本の中で問題解決をせざるを得ない選手時代を生きた福井選手。
スポーツ科学の恩恵を受けることができない時代、そしてテニス打法の大きな変化が起きた時代、それでも日本のチャンピオンとして君臨し、世界と戦った偉大な選手です。








トップ選手 | 投稿者 モモビラス 07:28 | コメント(0)| トラックバック(0)

福井 烈 最強1980-2011年(1)

孤軍奮闘だったと思います。
1970年代前半にボルグ、ビラスが登場してから
テニス打法は大きな変化を迎えます。

体重移動から体幹の回転運動へ、
フォアハンドは薄いグリップから厚いグリップへ、
軽い順回転、フラットから強い順回転トップスピンへ、

日本テニスは最新打法の取り組みに大きく出遅れます。
スポーツ科学がまだ根づいていない時期でした。

そんな時代に日本テニスを支えていた偉大なチャンピオン。
福井烈(ふくい つよし)さんは、
私が見てきたこの30年間で最も偉大な日本選手です。
そしてもしかすると最も報われない時期を過ごした、
悲劇のチャンピオンかもしれません。



トップ選手 | 投稿者 モモビラス 19:44 | コメント(0)| トラックバック(0)

グスタボ・クエルテン

クエルテンに興味がわいたのでWikipediaをみてみました。
それによると…
クエルテンが世界的に有名になったのは、1997年の全仏オープン優勝であった。当時20歳だったクエルテンは、世界ランキング66位のノーシード選手であったが、当時世界最新の打ち方と言われた腰の回転を最大限に生かしたフォアハンドや、正確で鋭いバックハンドのストレートを武器にして勝ち進んだ。3回戦では1995年全仏オープン優勝者のトーマス・ムスター、準々決勝で前年優勝者のエフゲニー・カフェルニコフを破り、決勝では1993年と1994年の優勝者セルジ・ブルゲラに 6-3, 6-4, 6-2 のストレートで圧勝し、過去3人の全仏優勝者を破って初優勝を決めた。…

なるほどセンセーショナルな優勝、それと対戦相手はいずれもタフなハードヒッターなので、
クエルテン自身も優れた打法のハードヒッターだったのでしょう。
残念なことにクエルテンの記憶がほとんどありません。
Youtubeを探すか…
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 10:17 | コメント(0)| トラックバック(0)

ブルゲラ対ナダル

クレーコートでのストロークの打ち合いで、
今でも強烈に印象に残っているのはブルゲラとクーリエの打ち合い。
特にブルゲラの凄いトップスピンは、当時最高のハードヒッターだったクーリエが、
自分のペースでストローク戦を持ち込むことを許さなかった。
そんなブルゲラとナダルの打ち合いを見てみたい。

実はよくわからないのがクエルテン。
じっくり見たことがないけどなんか相当凄そう。
誰か知ってますか?
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:47 | コメント(0)| トラックバック(0)

史上最強の女子選手は?1980年-2011年

今日はウィンブルドン女子シングルス決勝の日。

私がテニス観戦を始めた1980年頃から
今日2011年7月2日までの間で、
最も優れた女子選手を独断で選んでみました。
もちろん何の権威もない戯言です。
以下TOP3

1位 マルチナ・ナブラチロワ
GSシングルス18勝 ダブルス20勝
空前絶後の実績です。
パワー、テクニックそして知性を兼ね備えていました。
女子では稀なサーブ&ボレーを武器にしていて、
とても成熟したテニスをする人でした。
この人と比べると、正直今の女子テニスは幼い。

2位 シュテフィ・グラフ
GSシングルス22勝
とてつもない威力のフォアハンドストローク、
鋭く伸びるバックハンドスライスストローク、
やはりパワーとテクニックを兼ね備え、
うさぎのように跳ねまわるフットワークが印象的でした。

同点3位 クリス・エバート
GSシングルス18勝
この人ほど女王という言葉が似合う選手はいません。
美人でスタイルもよく、常に落ち着いた表情でした。
エバートのすべてのショットは、
2011年の今日でもアマチュア女性プレイヤーの教科書だと断言します。

同点3位 モニカ・セレシュ
GSシングルス9勝
あの不幸な事件さえなければ、
もっと多くのGSタイトルをとっていたでしょう。
フォア、バックとも両手打ちの超強打は、
現代女子テニスのはしりだと思います。
そしてこの人は人格的にとても優れた人です。

今日の決勝はどっちが勝つのかな…
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 23:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

1535日 トップ10選手のフォアハンドストローク

男子トップ10選手のフォアハンドストロークの動画を見比べてみました。
ダビデンコ、ソデルリング、チリッチ以外はみな練習風景です。
とても軽く振ってます、まるでハタキでホコリを落としているように。
自分は力が入りすぎていることがよくわかりました。つまり能力以上の強い打球を打つという間違いをおかしているわけです。ミスが多いのは当たり前でした。

非常に印象に残ったのはデル=ポトロ。
名前は知ってましたが実は初めて見ました。
恐ろしくシンプルなフォーム、ボレーのような打ち方です。

反対にロディックのフォームは複雑で安定させるのが難しそうに見えました。

トップ10選手のフォームを見て、自分のフォアハンドストロークのフォロースルーの位置が高すぎることに気がつきました。
急きょこれからテニスをすることにしました。
それでは・・・
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 12:47 | コメント(3)| トラックバック(0)

今も手本はクリス・エバート かもしれない

今の女性テニス愛好家達は誰をテニスの手本としているのか?
ふと疑問を持ちました。
テニススクールでプレーする女性を見ていると、
・フォアハンドストロークでワイパースイングをする女性はいない
・両手打ちバックハンドストロークで腕が首に巻きつくような鋭いフィニッシュをする女性はいない
・サーブでプロのようにヒジ、手首を使った腕の振りをする女性はいない
というような傾向。

そうなると
・絶叫とともにボールをハードヒットし、コートの端から端まで走りまわるシャラポワ
・200キロのサーブをぶっ放すウィリアムズ姉妹
・鍛えられた体で男性同様のスイングをするエナン
こういった現代のトッププロは、女性愛好家の目指すテニスのフォームやプレーの参考となるイメージにはなっていないのかもしれません。
身近な上級者や女性テニスコーチが見本?

私が20歳ぐらいの頃(25年ほど前)、女子テニスには絶対的なお手本がいました。
クリス・エバート。
金髪でスマート、清楚な雰囲気の女性としての魅力、無理のないフォームでプレーする姿、そして強くテニスの女王。
多くの人が手本にしていました。
そして現代でもクリス・エバートのテニスはアマチュアの手本になる気がします。
非力な女性でも真似できそうなテニススタイル、不変のお手本かもしれません。

下の写真は前期エバート、お手本です。後期エバートは肉体改造してかなり筋肉質になっています。後期エバートはYouTubeでみることができます。

エバートフォア
エバートバック
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 13:14 | コメント(0)| トラックバック(0)

サンプラス嫌い

強力なパワーと抜群のテクニックをもった偉大なチャンピオン、ピート・サンプラス。
私はサンプラスが嫌いです。一応偉大と表現しましたが、本当は偉大な選手だと思っていません。

おそらく1996年頃のことだと思います。
トーマス・ムスターが抜群の成績をおさめて、世界ランク1位にいた頃です。ムスターの成績は大半がクレーコートで得られたものでした。
そこでサンプラスはクレーばかりで成績をあげるムスターはずるいというような発言をしました。
さらにムスターはまるでビラスのようだともぷんぷん

サンプラスの発言、私はこの男が2つの愚かな発言をしていると思いました。
・人のことを言う前に、クレーコートの大会に出場して一度ぐらい優勝してみろ!
・ビラスはクレーコートでの実績が目立つが、他のサーフェスでも実績をあげている。当時芝の全豪で2連覇し、ウィンブルドンで優勝することが目標だった。

若かりしビラスがボルグとともに王者コナーズを追う頃、ビラスは王者コナーズを倒しウィンブルドンで優勝することが目標だとインタビューで答えています。
ムスターのフォームはビラスに似ていて、時代的にも恐らくビラスの影響を受けているのだと思いますが、テニス界に残した実績、影響はビラスとムスターではあまりにも違い、偉大な選手ビラスとムスターを並べて表現するのは間違いなのです。

その点、クレーでは実績がほとんどないマッケンローは、サンプラスのような批判をしていません。
デビスカップでアルゼンチンのホーム(アンツーカー)での試合も出場し、潔くビラスに打ちのめされています。

サンプラスはどれぐらいの強い思いで全仏に挑戦していたのでしょうか。
ビラスがウィンブルドンにかける思い以上のものだったのでしょうか。

しかしもはや昔の出来事ではあります。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

やっぱりエナンはいいなぁ~☆

復帰したエナンのプレイをちょっと見ました。
もうとにかくいいですね。
フォアバカ打ち、バック両手バカ打ちの繰り返しを観させられていたので(いつも途中で寝てしまいましたが)、
ようやく観戦したい選手がまた現れました。
その昔、ナブラチロワがたまに女性離れしたプレイをすると感じたことがありますが、エナンはそれ以上というか圧倒的に女性離れしてます。あ・・・いや男性と同じ・・・
クルム伊達選手との対戦があればいいな・・・

そんな刺激をうけた後のテニス
いつもバックハンドの8割はスライスですが、
この日は8割がトップスピンかフラットに豹変。
爽快でした。

でも夏場はこんなことできません、すぐバテます。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 12:08 | コメント(0)| トラックバック(0)

フェデラーの超スローモーション映像

だいぶ前にpuruminさんから教えてもらった動画、フェデラーの超スローモーション映像を今もたまに見ています。
というか今まで100回ぐらい見ているかもしれません。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=xNPaZj4yn00

・インパクトの衝撃で波状にたわむラケットフレーム
・ボールとラケット面が接触している状態
・インパクト直後ボールにかぶさるよう下を向くラケット面
・インパクト以降も打点を見続ける様子

連続写真や普通のビデオでは見えなかったものです。

この映像で今興味深く思っているのは、
走らされて打った後のフェデラーの姿勢です。
打った後、膝が深く曲げられ低い姿勢の状態でブレーキがかかり、次のアクションへ移っていく様子。

1/1000ぐらい真似してみたい

トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:29 | コメント(4)| トラックバック(0)

16年前の伊達公子選手3

*参考:テニスジャーナル1992年4月号
 伊達公子のテニス

以前、昔の雑誌で見つけた伊達公子選手の特集、その内容を簡単に記事にしました。
世界のトップを狙い急上昇する直前の特集でした。
今回はその続編です。
過去の参考記事
①16年前の伊達公子選手
②続16年前の伊達公子選手

1992年4月の時点で伊達選手のランキングは25位、トップ10入りを狙えるところまできています。

伊達選手のかつての指導者のインタビューがありました。
以下キーワードだけ

園田学園 光国彰監督
10年に1人の逸材と感じた。
それはサーブの肩、面使いが抜群、競技に向いている気性こういった点で優れていた。
高校テニスの枠にはめず、のびのびやらせた。

小浦猛志コーチ
テニスをしてきた環境が良かった。
田舎の山の中でテニスをしていたから身体能力が高められた。
次に四の宮クラブという超名門できっちり教わった。
そして園田・・・本当にステディにベースのことだけ皆が教えた、その教える順番がよかった。

この1992年当時は坂井利郎氏がコーチになって、世界の頂点を目指していました。

やはり高校1年から10年に1人の逸材と言われるだけあって、有り余る才能で真似できないライジング打法を身に付けたのでしょうか。
そして優れた指導者にも恵まれたようです。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 15:46 | コメント(0)| トラックバック(0)

ナダル抜てき 2004年

*参考:テニスマガジン2005年2月号

2004年デビスカップ決勝はアメリカVSスペインでした。
会場はスペイン・セビリア クレーコートです。
アメリカのエースはロディック、スペインのエースはモヤ。
この決勝でスペインのジョルディ・アレセ監督は意外な選手選考をします。
スペインのNO.2にはフレンチオープン優勝経験のあるフェレロがはいるのが順当ですが、18歳のナダルを抜てきしました。
ナダルはその前、USオープンでロディックと対戦していました。
ロディックのストレート勝ち、サーブ力に歴然とした差があったようです。
ホームの利、クレーコートでのプレーを生かした結果か、6-7 6-2 7-6 6-2でデ杯はナダルが勝利しました。
この翌年からナダルはフレンチオープンで優勝を続けています。
デビスカップは3日目シングルスでモヤがロディックをストレートで破りスペインが3勝2敗で優勝となりました。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 13:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

ノボトナの涙

*参考:テニスジャーナル1993年9月号

1993年はウィンブルドン女子100回記念大会でした。
1987年以来、グランドスラムの決勝のほとんどは、グラフ、セレスで争われました。
1987年の大会は、今まで勝った事のないナブラチロワを破って、ノボトナは決勝進出しました。
決勝はグラフとの対戦、1セットずつとって最終セット、4-1でリードしながら敗れます。

試合終了後の表彰式で、
ケント公夫人から「今度はあなたも勝てますよ」と言われ、
張り詰めたノボトナの心が開放され、涙ぐみながらケント公夫人に抱かれて慰められていた、という逸話があります。
ケント公夫人の言葉が本当になるのは、5年後の1998年大会でとうとうノボトナが優勝します。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 14:17 | コメント(0)| トラックバック(0)

なま伊達選手をみて

本日、十数年ぶりに伊達公子選手の試合をみました。
試合結果は残念でしたが、昔と変わらないテンポの早いテニス、そこへ打つのか!という意外性のあるコースへの打ち分け、やはり見ていて楽しい試合です。
今日の対戦選手誰だっけ?(興味なし)、フォアがサービスラインを超えた当たりでトップスピンがかかり、打球が遅くなるので、伊達選手は何となくタイミングがとりづらいのかな?何て素人なりに想像しました。
第2セット、伊達選手サービスキープの後、IPS(集中しリラックスした最高の精神状態)に入るかな、と思ったのですが、ミスでラケットに怒りをぶつける姿があり、若干心配になりました。

家に帰って16年前と19年前の伊達選手の連続写真を見つつ、先ほどの試合を思い出しました。
今日の伊達選手は19年前のフォームに近かった気がします。疲れなのか、テニス自体の時代の変化なのかはよくわかりません。
16年前、世界トップへ上がっていく頃のフォームは、インパクト前に膝がよく曲がり、インパクト時も膝がある程度曲がった状態で徐々に伸び上がっていってます。そして肩がきれいに回転しています。
19年前のフォームは突っ立っていて、腕でうまくボールを押さえ込もうとしています。腰の位置が高い状態。

ど素人の観察、恐縮でございます。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 17:04 | コメント(4)| トラックバック(0)

錦織選手と松岡修造さんの歴史

いやー、とても素晴らしい活躍でした、錦織選手。どのテレビでもその姿が映され、新聞にも大きく取り上げられ、男子テニスがこんなに注目されたのは本当に久しぶりなことです。松岡修造さんがウィンブルドンベスト8に入ったとき以来ではないでしょうか。
松岡さんは柳川高校から渡米し、本物のアスリートの戦いの場で、持っている能力をすべて引き出し、日本テニスの可能性を世の中に知らしめた偉大な選手です。
しかし度重なるケガ、病気により、上がったランキングが下がり、低い位置からまた懸命に這い上がる、という苦しい選手生活、そんな中で花開いたウィンブルドンの活躍でした。

錦織選手は伊達公子さんと同様、そこには決められないだろうと思うところに簡単に打ち込める、特別な才能の選手。
でも今は目先のランキングは必要以上に意識せず、デカイ外人に負けない耐久力のある体作りを優先するほうが大事なような気がします。

歴史に残る偉大な選手マッケンローは、17歳、ランキング270位のときウィンブルドンベスト4になっています。しかし彼が名実ともトップ選手の仲間入りをするのはそれから2年後。
錦織選手にはとても期待するけれども、過去の歴史をよく検証し、過去の選手の苦難から学び、最高の選手になって欲しいと願っています。

トップ選手 | 投稿者 モモビラス 13:59 | コメント(4)| トラックバック(0)

1995年全米とシュウゾウ・マツオカルール

1995年の全米オープンは、あの不幸な事件から初めてグランドスラムに復帰したモニカセレシュと王者グラフの戦いになりました。
復帰後のセレシュは桁外れの強さを見せ、この全米でも決勝へ進出、グラフとの激しい戦いは、フルセットでグラフの勝利になりました。グラフには父親が起こした事件による精神的影響、セレシュには復帰してまもないことで万全ではないコンディション、お互いがベストではない決勝でした。

この大会、もうひとつの重要な出来事があります。世界ランキング63位の松岡修造選手が出場、1回戦の相手はランク26位の強豪ペトロ・コルダ。試合は稀に見る大激戦になります。
コルダ7-6、6-7、6-7、6-5松岡となったところで両足の激しい痙攣で松岡選手はコートに倒れ、動けなくなりました。当時のルールは痙攣で倒れた選手を3分間は手当てをすることができず、3分後自力で立ち上がり試合を行わなければならなかったのです。3分後松岡選手は棄権します。
しかしこの残念な出来事は無駄にならず、これをきっかけに痙攣もインジャリー・タイムとして認められ、治療を受けることが可能になったのです。(シュウゾウ・マツオカルール)
この年ウィンブルドンベスト8に入り、全米でも強豪との激戦、松岡選手はケガで失ったチャンスがもう少し少なければ、もっと大きな実績を上げていたのではないかと思います。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 22:02 | コメント(2)| トラックバック(0)

アガシのボールタッチ

以前の日記「アガシ もう一人の完璧な選手」にて松岡修造さんがボールタッチの優れた選手としてアガシの名前を挙げていたことを書きました。
アガシは強力なハードヒットをするストローカーでしたが、よく見ていると、引っ叩いたり、擦ったり、緩かったり、止めたり、とにかく打球の扱いが自由自在でした。

先日読んだ本、サーブ&ボレーはなぜ消えたか 著:武田薫氏
これによると、元々アガシはサーブ&ボレーのプレースタイルであり、強いアガシにアメリカ西海岸で戦う相手がいなくなったため、フロリダのニック・ボロテリーの元へ移ったようです。ここでアガシは両手打ちのストローカーに変えられたとのこと。アガシの父親は、サーブ&ボレースタイルであればもっと強かった、と述懐しているようです。
アガシのボールタッチは、若い頃の経験の名残なのでしょうか。
****
武田薫氏は 芝のコートでは、サーブで低く威力のある弾道により相手を押し込めば有利だが、ボレーをさせないようにレシーブすれば、サーバーはネットにでてきているため、対応角度が一気に狭くなり、立場が一転してしまう というような意見を述べています。
****

私は少し違う見方で
・・・昨今のトッププレイヤーは、ストローク技術とそれを実現するフットワーク技術、この2つが昔に比べ著しく向上したため、サービスダッシュしたプレイヤーに、甘いリターンが返る確率が減少している。それでもリターンエースを狙い続けることは困難で、ネットダッシュした選手には、今でも大きなチャンスが待っている。変幻自在で高い確率のサーブを打ち、そしてボレー技術のブレークスルーをした選手が出現したとき、サーブ&ボレーの復活がおきる、このまま消えるわけではない・・・
という考え方です。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 22:06 | コメント(0)| トラックバック(0)

松岡修造デビュー 日本テニス歴史的瞬間

何年のことか忘れました。たぶん1986~1987年の間の出来事です。
その年のジャパンオープンは、アメリカへ武者修行に出た松岡修造さんが、ついに日本に戻りその姿を見せる注目の大会でした。

私はその松岡修造さんの試合を見るために有明へ行きました。私が見たのは1回戦、相手は有名選手アンダース・ヤリードでした。
ヤリードはシングルストップ10の実績があり、その頃もたぶんトップ20クラス、全豪ダブルス1回、全仏ダブルス2回、全英ダブルス2回、全米ダブルス2回、計7つのグランドスラムダブルスタイトルを持つ名選手です。エドバーグ、ビランデル、サンドストロームらとスウェーデン黄金時代を築いたメンバー。

スタンドのない1回戦のコート、フェンス越しに間近で試合を見ることができました。フェンスの周りには人が何重にも取り囲み、ウォーミングアップから異様な雰囲気でした。
軽いストローク、ネットプレーのアップが終わり、サーブ練習が始まったとき、そこにいた観客達は、日本男子テニスの夜明けを見たのです。
松岡修造さんの打ったサーブは"ドカーン”という轟音とともに、サービスコートを跳ね、次の瞬間にはバックフェンスのとても高い位置に“ガシャーン”と激しくぶつかります。
コートは「ウォーー!」という驚嘆の唸り声と、歓喜する日本人ファン達のざわめきに包まれ、興奮状態になりました。
日本人がとうとう世界トップクラスのサーブを放ったのです。

試合は、強烈なサーブと強烈なトップスピンストロークを打つ松岡修造さんに対し、とても俊敏に動くヤリードの安定したストロークにより拮抗した展開でした。日本人を相手に必死に試合をする世界トップクラスの選手を初めてみました。

ただ、押し切るには何かが足りなく、巧妙に守り、展開を変えるヤリードに要所を締められ、緊迫した打ち合いではありましたが、確かヤリードがストレート勝ちしています。

しかし私は満足でした。きっと近い将来、輝かしい出来事が起きることを予感しました。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:39 | コメント(0)| トラックバック(0)

ショットメーカー

昔のスマッシュに掲載されていたジミー・コナーズのコラムに、ショットメーカーという表現がありました。

コナーズは、クレーコートでストローク技術を駆使して勝つタイプの選手をショットメーカーと表現、ボルグやビラスの名前を挙げていました。
コナーズ自身は自分をショットメーカーと定義していないようでした。
ショットメーカーとは
「ストロークで様々な球種を駆使し、ゲームを支配するハードヒッター」
とコナーズの表現から私は理解しました。

例えば左利きのショットメーカーの系譜は
レーバー→ビラス→ムスター→(?)→ナダル
といった感じでしょうか?

いずれの選手も、ダイナミックでバイオメカニクスに優れ、若者を熱狂させるタイプのようです。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 23:29 | コメント(0)| トラックバック(0)

アガシへの変な応援

どのグランドスラム大会かは忘れました。例によって昔の出来事です。

その試合はアガシVSサンプラス、もしかしたら決勝だったかもしれません。
最高の対戦です、二人ともとても人気がありました。
でも私はこの試合について応援シーンしか憶えていません。それぐらい印象的な二人への応援でした。

スマイル「サンプラス音符サンプラス音符パンパンパン拍手拍手
とさわやかなサンプラスファンの応援がスタンド中央からあります。
すると次に、反対側のスタンド中央から
うるせー「アーガシー下降アーガシー下降」と拝む
ごっついおっさん数名の太く低い怪しい声援、つるりんさんになったアガシの雰囲気が怪しげな宗教的雰囲気の応援にマッチして、思わず場内から笑いが・・・

とても対照的でユニークな応援合戦でした。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 12:07 | コメント(0)| トラックバック(0)

真白なウェアのアガシ

今の若い人達からみて、1990年頃のアガシが着ていたウェアをどう感じるかよくわかりませんが、当時の私には恐ろしく汚いウェアに見えました。ウェアの好みは別にして、プレーを見てアガシに一目惚れしてしまった私、以来今日までファンであり続けています。

私の記憶では1991年にアガシはウィンブルドンに初出場。
・・・残念なことにその時期の雑誌が残っていません

非常に汚い(失礼・・・個性的でした)アガシのウェア VS 伝統と秩序と権威を重んじるウィンブルドン(オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ)、アガシがどんな姿でテニスをするのか、大変な注目を集めていました。

初出場のアガシは、真白なウォームアップで大観衆の前に姿を現します。その時点でどよめきと歓声、さらにウォームアップを脱ぐと上下完璧に真白なウェア、観衆達は皆拍手喝采をアガシに贈ります。
・・“真白でファッショナブルで粋なアガシ” さらに多くの人の心を掴んだと思います。

そして大方の予想に反し、アガシはベスト8まで進出、芝のコートでも十分トップパフォーマンスを発揮することを証明してウィンブルドンを去ります。

翌年1992年のウィンブルドン、初のグランドスラムタイトルをアガシは手にします。毎試合30本以上のサービスエースをとる桁外れのサーブ力を持つイワニセビッチに対し、完璧なグランドストロークと強力なリターンで対抗、フルセットの大激戦でした。

このときから16年経った2008年ウィンブルドン、ナダルの姿をみると、もはや白なら何でもありかな?と感じるほど、ウィンブルドンの秩序が柔軟になった気がします。

下の写真はテニスジャーナル1992年2月号(100号記念特別号)
「ボブ・ブレッドが語る男子テニス界の主役9人の技術」
1991年、アガシがウィンブルドン初出場した際の連続写真です。TJ1992-2-アガシ
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 16:45 | コメント(0)| トラックバック(0)

アガシ もう一人の完璧な選手

すでに引退したアガシ、デビューした頃からとても人気のある選手でした。

1988年のこと、モモビラスの後輩がとても興奮しています。
「モモビラスさん、アガシ見ましたよ、凄いです、凄い!」
何度も凄いを連呼、でも私は「あっ、そう?」と関心を持ちませんでした。
アガシのことは知っていました。とても汚い服装と鬱陶しい長髪の有望選手、モモビラスの感性ではあり得ないセンスで、プレーを見たこともないのに嫌いでした。

たぶんそれから1年ぐらい後、初めてアガシを見ました。汚いカッコは相変わらずでしたが、一発で好きになってしまいました。以後、サンドストローム以来途切れていた私のアイドル選手となりました。

モモビラスのアイドル遍歴
ビラス→サンドストローム→アガシ→そして現在はロッド・レーバー

異常にハイセンスなテニス、完璧なストローク、とても魅力的なゲーム、なぜグランドスラムに勝てないのか理解できませんでした(1992年ウィンブルドンでようやく)。

松岡修造さんが以前、ボールタッチの優れた選手、という雑誌記事にアガシの名前を挙げていたの憶えています。
強打のストローカーとイメージが結びつきにくいのがボールタッチのセンス、でも実際見ると松岡修造さんがアガシを選ぶ理由もわかる気がします。

オーソドックスなボレーを試みないので、評価しづらいところもあるのだと思いますが、たぶんアガシは完璧な選手の一人。
書きつくせないアガシのこと、続きをまた書きます。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 23:26 | コメント(2)| トラックバック(0)

マーガレット・スミス・コートの深い悩み

1977年のテニスシーンを調べていたところ見つけた記事です。

参考:スマッシュ1977年2月号
「信心深いコート夫人、著書出版で頭をかかえる」

コート夫人は年間グランドスラムを達成した大選手。
そのコート夫人が自分の書いた本で悩み、出版したその本の全てを焼き払ってしまいたい、と深く悩んでいることが書かれています。

その理由は、不幸にも3番目の子供を流産して以来、信心深くなったことにあるようで、「神のお告げ」に従って行動することになったのが背景だそうです。
それほどひどいことを書いていないようですが、他の選手の論評をしたことを深く後悔している様子。

何となく沢松奈生子さんとモニカ・セレシュの出来事と重なります。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 12:31 | コメント(0)| トラックバック(0)

フェデラーに伝えたい昔のコラム

2008年ウィンブルドン男子シングルス決勝の結果について、Tennis365ブログでも様々な意見がでています。またフェデラーの意欲が低下しているのではないか?という情報。

1975年、王者ジミー・コナーズにとっては運の悪い年だったようです。全豪決勝はニューカムに負け、ウィンブルドン決勝でアッシュに負け、止めは全米決勝でオランテスに敗北。
その2年後のジミー・コナーズのコラムを見つけました。

参考:スマッシュ1977年6月号 「俺の勝負哲学」ジミー・コナーズ

その冒頭の内容、1975年全米で優勝したオランテスについて語っています。(1975~1977年全米はフォレストヒルズのクレーコートで行われています)
コナーズはヨーロッパで出版された雑誌記事で憤慨、さらにその記者の観察眼と考察レベルの低さにかなり呆れた様子。
コナーズは、1975年全米決勝の戦いは、素直にオランテスがあらゆる面で上回っていたと認めています。
コナーズが憤慨している点
・オランテス(クレー巧者)がクレーコートだから勝てたという見方
・コナーズはクレーが苦手という見方・・・ところがこの大会でコナーズはボルグ、ソロモン(クレー巧者)を破って決勝進出(翌1976年はボルグを破って優勝)

そしてこのコラム内容全般から感じるのは、1975年全米の敗戦について“その日は相手が自分を上回っていたのでしょうがない”と割り切って考えているところ。

コナーズより若いボルグが早々に燃え尽きてしまったのと対照的に、コナーズは1982年にウィンブルドンで優勝するなど、30歳を過ぎても王の一人として君臨し続けます。

そうなのです。先日のウィンブルドン決勝もフェデラーにとって
“ただの負けのひとつ”
ということが31年前のコナーズのコメントから気付かされるのです。




トップ選手 | 投稿者 モモビラス 19:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

C・エバートとG・ノーマンの記憶

その昔、クリス・エバートがテニスをする女性のお手本であると同時に、テニス好きの男性にとっても女性がするテニスの象徴であったことは、以前の日記でも書いています。

エバートはその見た目からくる印象とは別に、テニスの女王であり続けるため、非常に強い意思と信念を感じる人でした。試合中の表情は、口元が少し変化するだけで、クールな印象でした。
台頭してきた最大のライバル、ナブラチロワが自らを叱咤する声を出したり、判定への不満を感情に表したり、我を忘れ、苦悩する状況と対照的でした。
そしてナブラチロワが女王の座を脅かす頃、エバートも厳しいトレーニングによって肉体の改造を行っている様子が外観に現れていたりしました。

私は1989年~1995年頃まで、テニスと同時にゴルフにも取り組んでいました。ただし今考えると、私にとってゴルフはテニスの副産物のようなものでした。私がゴルフで得た最大の収穫は、体幹の鋭い回転と腕の動きを協調させることが、ボールを強く打つ最大の秘訣・・・これを確信できたこと。

その頃、世界のトップに君臨する偉大なゴルファーがグレッグ・ノーマン。誰よりも飛ばし、誰よりも上手くピンに寄せ、そしてたくさんの優勝。ノーマンが来日した際のちょっとした事件が記憶にあります。

①大会会場が、練習場の芝の上で直接ボールを打つことを禁じていて(練習はティーアップして打つことを要求)、納得のいかないノーマンは「これでいいだろ!」と直接芝に置いた球を全くターフをとらず(芝を削らない)打ち続けるという曲芸を見せたのです。

さらにもうひとつ
②当時日本に君臨していたあるプロは、ルールやマナーに多くの問題を持つ選手、ということが一般愛好家にも知れ渡るほど有名な話でした。
そのプロとラウンドしたノーマンは、ラウンド終了後、そのプロの行為に対して激怒、直接やりあったと言う話があります。
健全な環境づくりができない日本のゴルフ組織の呆れる実態とともに、熱い男ノーマンに感動した記憶があります。
(まあ町内会長と総理大臣がけんかしたようなレベル差だったのでしょう)

強い目的を持つクールな女性と理想を追い求める熱い男、赤い糸で結ばれていたのかな?
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 21:28 | コメント(4)| トラックバック(0)

沢松奈生子とモニカ・セレシュ

1998年頃の雑誌をパラパラめくってましたところ、印象的な出来事を見つけました。
この年開催されたトヨタプリンセスカップ98は、沢松奈生子選手の引退する大会だったようです。
この頃、私は結構雑誌に目を通していましたが、後述する出来事は憶えていませんでした。

沢松選手の最後の対戦相手はあのモニカ・セレシュ。
沢松選手は全盛期を彷彿させるプレーをしたようですが、試合はセレシュが6-3 3-6 6-3で勝利。

印象的な出来事はこの試合直後のことなのです。

ゲームセットとともに、セレシュが沢松選手を労い、沢松選手は涙ぐんでいるシーンが写っています。
そしてもうひとつの事実
“試合後、モニカ・セレシュが沢松選手と一緒に泣いていた”という記述。

モニカ・セレシュの涙の訳はわかりません。
1993年、世界NO1、20歳のモニカ・セレシュに起きた不幸な事件、数年後、心的外傷後ストレス障害を克服して復帰したモニカ・セレシュですが、再び頂点を極めることはありませんでした。
しかし、復帰後のセレシュについて、その人間性を称えるコメントを雑誌で何度か見かけました。沢松選手の試合直後の出来事は、辛い経験を乗り越え、悲しみや苦しみを理解するセレシュの素晴らしい人間性を物語っていると感じました。

セレシュの経歴はWikipediaに記載されています。
この大会から10年経った今、この事実を知って目が潤んでしまうのです。



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続16年前の伊達公子選手

昨日(7/11)の日記、「16年前の伊達公子選手」の続きになります。
*参考:テニスジャーナル1992年4月号「伊達公子のテニス」
伊達選手と沢松選手
伊達と沢松

この特集のインタビュー内容では、前年伊達選手はスランプに陥り、3回戦まで進出ができない状態、しかしそのスランプを脱したのは「気持ちだけじゃないですかね。」と技術面の変化はなかったようです。
そう言えば、久米宏さんがニュースステーションの司会だったころ、伊達選手が出演したことがあり、「打ち方のことを聞かれるのが困る、自分でもよくわからない、説明ができない」というような発言をされていた記憶があります。
この頃の伊達選手の試合を有明で見たことがあるのですが、相手の速くて深いストロークを、簡単にライジングでコースを打ち分け、ポンポンエースをとっていたのに驚きました。他の選手も観察しましたが、同じことが出来る選手はその日いくつか見た中でいなかったです。
ベストな打ち方を体で感じで実現できる天才なのだと思いました。
また同時期にランキングでほぼ同じ位置にいたライバル沢松選手について、二人で励ましあい日本テニス界を引っ張りたいという話と、しかし高校時代はもう「絶対負けない!」という本音もありました。
トップ10入りの手応えを十分感じているが、選手生活はあと4~5年という考えだったようです。
「一応女ですからね、結婚もしたいので、そのくらいには終わりにしたいなと」
将来を暗示する発言あり。
それにしても一流の人は、明確な目標と時間軸をもってますね、自分が凡人なのがよくわかります。

この他にもコーチの坂井利郎さんが技術解説をしていてそれも面白いのですが、また機会を見て書きたいと思います。
伊達フォア



トップ選手 | 投稿者 モモビラス 07:31 | コメント(0)| トラックバック(0)

16年前の伊達公子選手

例によって昔の雑誌を引っ張り出してみていましたら、見つけました、16年前の伊達公子選手。

下の写真はテニスジャーナル1992年4月号の特集「伊達公子のテニス」です。
TJ1992年4月伊達

こうしてみると、伊達さんは顔の輪郭が整っていて、ショートカットの髪型がよく似合う人ですね。今もあまり雰囲気が変わっていない感じです。
伊達さんの表情は、しっかりとした考え、強い意思を持った人という印象、あの引退したサッカーの中田選手と雰囲気がかぶります。
記事内容からわかるのは、当時21歳、WTAランキング25位、それまでの日本人女子選手最高位が井上悦子さんの26位で、それを抜くのが目標だったようです。
全然関係ない話で恐縮ですが、モモビラスと井上悦子さんは同じ年齢、モモビラスの通う高校(モモビラスは通っただけというのが周りの評価)と同じ学区でした。

この特集のインタビュー内容が面白いので、また続きを書きます。

*舅から借りてきた昔の雑誌(スマッシュ)と自分の保管していた雑誌で、部屋の中が雑誌の海、滅茶苦茶になってます。



トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:26 | コメント(4)| トラックバック(0)

ダブルスから見るウィンブルドン(女子編)

男子ダブルスがシングルス上位選手の参加が少ないという点で、少々寂しい感じがしていましたが、女子のダブルスはなかなか魅力的です。
以下が1980年以降のダブルスチャンピオンペア
1980年 キャシー・ジョーダン&アン・スミス 
1981年 マルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー
1982年 マルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー
1983年 マルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー 
1984年 マルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー(年間グランドスラム達成)
1985年 キャシー・ジョーダン&エリザベス・スマイリー
1986年 マルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー
1987年 ヘレナ・スコバ&クラウディア・コーデ・キルシュ
1988年 シュテフィ・グラフ&ガブリエラ・サバティーニ
1989年 ヘレナ・スコバ&ヤナ・ノボトナ
1990年 ヘレナ・スコバ&ヤナ・ノボトナ  
1991年 ラリサ・サブチェンコ&ナターシャ・ズベレワ
1992年 ジジ・フェルナンデス&ナターシャ・ズベレワ
1993年 ジジ・フェルナンデス&ナターシャ・ズベレワ
1994年 ジジ・フェルナンデス&ナターシャ・ズベレワ
1995年 アランチャ・サンチェス&ヤナ・ノボトナ  
1996年 マルチナ・ヒンギス&ヘレナ・スコバ
1997年 ジジ・フェルナンデス&ナターシャ・ズベレワ
1998年 マルチナ・ヒンギス&ヤナ・ノボトナ  
1999年 リンゼイ・ダベンポート&コリーナ・モラリュー
2000年 ビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ
2001年 リサ・レイモンド&レネ・スタブス
2002年 ビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ
2003年 杉山愛キム・クライシュテルス 
2004年 カーラ・ブラック&レネ・スタブス
2005年 カーラ・ブラック&リーゼル・フーバー 
2006年 鄭潔&晏紫  
2007年 カーラ・ブラック&リーゼル・フーバー
*参考:Wikipedia
豪華ペアがいくつもあります。
上には載っていませんが1970年代には、ナブラチロワ/キング、エバート/ナブラチロワという夢のペアがあり、
1980年以降ですとグラフ/サバティーニ、ヒンギス/ノボトナ、ウィリアムズ姉妹などビッグネームが名を連ねています。
それと杉山愛選手が、4度のファイナリスト(2000、2001、2002、2003年)と素晴らしい活躍をしていると再認識しました。
ペアとして最強と評価されることが多いのは、ナブラチロワ/シュライバーペアではないでしょうか。サウスポーでパワー、テクニックも兼ね備えたナブラチロワ、長身を生かしたシュライバー、そういえば同時期男子で強かったマッケンロー/フレミングもサウスポーと長身選手のペアでした。
個人的にはアイデアの豊富なズベレワのプレーが好きで、参考にしていたことがあります・・・まあ真似しても上手くいきませんが。
女子ダブルスは観ていて非常に面白いです。

トップ選手 | 投稿者 モモビラス 15:48 | コメント(2)| トラックバック(0)

完璧を見た・・・もちろんフェデラーです。

2008年ウィンブルドンが始まってから、何度も信じられないものを見ています。
多くの方も同じ感想を持っていると思います、そう、あのフェデラーの試合です。

高度な技術とパワーと戦術が組み合わされた、完璧な試合であり完璧なプレー、こんな凄いものを見ることはないと思っていました。ところが、これが毎試合です、どうなってるんでしょうか?
トップ選手たちは皆同じようにテニスに全力を傾けていると思いますが、なぜ、フェデラーが桁外れに上手く見える・・・というよりも実際上手い・・・一体フェデラーはどうやって今の境地に達したのでしょうか?

昨日のサフィンとの試合、激戦を期待したのですが、フェデラーと遜色のない威力のあるショットを打っているのに、フェデラーが浅い球を返しても、ミスばかり、本当はもっと切り返して押し込めるのではないかと思うのですが・・・。

どの選手もラリーが続くのを恐れ、慌てて攻めようとして墓穴を掘っているようにも見えますし、またフェデラーの1stサーブが質、確立とも高いので、どうにもならないようにも見えます。

ナダルとの決勝、本当に楽しみです。
もしフェデラーが優勝したら、今度はダブルスで優勝を重ねてほしいと思います。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 14:48 | コメント(2)| トラックバック(0)

錦織VSジーケル分析

2008年ウィンブルドン男子シングルス1回戦
惜しくもリタイヤした錦織選手、ジーケルとの一戦、錦織選手が6-4でとった第1セットを分析しました。

詳細は後にしまして、まずこの第1セットをとった要因・・・
キーポイントは第2~第4ゲームにおけるポイントの攻防で錦織選手が要所を抑えたところにあるようです。(試合はジーケルのサービスゲームでスタート)

★サービスのデータ
・・・錦織サービスゲームポイント計31、同じくジーケル計27
①1stサーブ、錦織 サービスゲーム31ポイント中 23本(74%)
②1stサーブ、ジーケル サービスゲーム27ポイント中 18本(67%)
③サービスエース 錦織3本 ジーケル4本(全てセンター
④ダブルフォルト 錦織1本 ジーケル0本
⑤1stサーブが入った際のポイント取得 錦織17ポイント
  ポイント取得率55%

⑥1stサーブが入った際のポイント取得 ジーケル13ポイント
  ポイント取得率48%

⑦2ndサーブが入った際のポイント取得 錦織4ポイント
  ポイント取得率13%

⑧2ndサーブが入った際のポイント取得 ジーケル4ポイント
  ポイント取得率15%


★第2~第4ゲームの攻防
・第2ゲーム 錦織サーブでジュースにもつれ込むが、ジュースでサイドにサービスエース、次のポイントもとってキープ。
・第3ゲーム ジーケルサーブ、1stサーブが入らず30-40から錦織ポイント、ブレイク。
・第4ゲーム 錦織サーブ、0-30から巻き返しジュース、そこからポイント連取、キープ。
ジュースのとき必ず1stサーブが入り錦織が先行していた。
これで流れが錦織に、第6ゲーム以降、錦織のサービスゲームの1stサーブ確率87%!
ジーケルの特徴として
・サービスエースは全てセンター
・2ndサーブをサイドに入れると1ポイントもとれていない
・逆クロスのフォアハンドストロークエース3本と得意


★その他データ
・リターンエース 錦織1本 ジーケル1本
・フォアハンドストロークエース 錦織6本 ジーケル5本
 (錦織はストレートに4本、クロスに2本決めた)
・バックハンドストロークエース 錦織1本 ジーケル0本
・スマッシュエース 錦織1本 ジーケル0本
・フォアボレーエース 錦織1本 ジーケル2本
・サービスエースも含めエース本数合計
 錦織13本(全ポイントの中でエース奪取率22%)
 ジーケル12本(全ポイントの中でエース奪取率21%)

1stサーブ確率とポイントの取得率に関係するかわかりませんが、錦織選手はサイドに多めに1stサーブを入れており(10/17)、また1stサーブのスピード(回転)に変化があるように見えました。 


トップ選手 | 投稿者 モモビラス 20:29 | コメント(0)| トラックバック(0)