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テニス浦島太郎 8年ぶりにテニスをまたはじめた40代のおじさんです。最近のテニスの変貌ぶりに驚きつつも、いかに上達できるか、日記にしています。

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苦手なサーブ&ボレーでウィンブルドンに挑戦

1992年にアガシが優勝するまで、ウィンブルドンはサーブ&ボレー全盛期でした。

1980年代はマッケンロー、ベッカー、エドバーグ、キャッシュといったネットプレーに優れたサーブ&ボレースタイルの選手がウィンブルドンを席巻しています。

そのような中、1980年代最高のハードヒッターでありベースラインプレイヤーであるイワン・レンドルは、唯一残されたタイトル、ウィンブルドンのために、苦手なサーブ&ボレーに挑戦しています。

lendl1986


これが今日であれば、レンドルは得意のストロークを磨くことでウィンブルドン制覇を狙ったかもしれません。

減量をして身体を絞り込んだレンドルは、果敢にサーブ&ボレーで挑みます。
その最後の壁となったのがボリス・ベッカー。



レンドルの夢はあと一歩で叶いませんでした。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 11:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

最高のパフォーマンスとテニスの将来への危惧

1990年のことです。
*参考:テニスジャーナル1990年3月号

この号でリチャード・エバンス(当時有名なテニス評論家)が1980年代を振り返っています。
「最も素晴らしい技術的パフォーマンス」
1985年マスターズでマッケンローがレンドルをストレートで降した試合をあげています。
レンドルの威力があるファーストサーブをライジングで捉え、リターンダッシュ、そしてレンドルの強打を軽くドロップボレーであしらう、マッケンローのプレーは神業だったようです。
広く知られていることですが、マッケンローは眼と手の協調性に優れ、素晴らしいボールタッチであらゆるショットを繰り出す天才でした。パワーテニスとは対極の存在ともいえます。

またこの時代パワーテニスの代表格レンドル、そしてベッカーの登場とさらに拍車がかかるパワーテニスに危惧を抱いている人もいました。
平野三樹氏
当時テニスの技術的専門誌であったテニスジャーナルの技術解説を担っていました。この技術解説を担うことは、日本のテニス界に少なからず影響を与える立場でもあります。
この数年後、テニスジャーナルの技術解説を担うのが、このブログでも登場している松原コーチ(松原雄二氏)です。
さて平野氏ですが、ベッカーに代表される超パワーテニス時代の到来により、テニスの将来を危惧しています。
「現在のラケットの性能は、人がそれを使ってプレイするための極限まで達している。その攻撃力に耐えうる反応の速さ、足の速さ、ラケット扱いの速さなどを持つ人が極端に少なくなってしまており、著しく試合の興味を欠いてしまっている。
この状態が続く限り、相当広いレベルに渡って、テニスというスポーツが、単にスピードによる攻撃力だけを追求した面白味のないゲームだと思われてしまうだろう。そしてその結果、これまでテニスというスポーツの中に存在していた良きものがしだいに失われてしまい、やがて忘れられていきそうな気がする。」


この平野氏の危惧は今日のテニスにも現れていて、かつてはあったテレビ局(キー局)の中継はなくなり、また長くテニスをしてきた人たちでさえ、プロの試合に対して冷ややかに見ていると思われます。

私自身が感じるのは、
男子プロの場合、とても速くなったストロークに対して、体格的に優れた超人が鍛えられたフットワークで追いつき打ち返すことでなんとか最低限の面白さを確保している。
一方女子プロの場合、同じく速くなったストロークに対して、平野氏の危惧通り、ストロークの速さに比べ、足の速さが劣っており、そのため、オープンコートへの先制攻撃でポイントをとるという単調なゲーム展開のため、とても見る気がしない。

いずれにしても観るテニスが劣化しているのではないでしょうか?

昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 12:07 | コメント(0)| トラックバック(0)

20年前の世界ランキング

今から20年前、1990年の世界ランキングを調べて見ました。

男子はイワン・レンドル時代の終盤。1985~1987年、1989年に世界ランキング1位、1985~1990年で7個のGSをとっています。
また主に全英でのベッカーVSエドバーグのライバル対決が1980年代後半に繰り広げられています。

女子はシュテフィ・グラフの時代。ナブラチロワの時代から1987年頃を境にグラフの時代になっていきます。1985~1990年で9個のGSをとっています。女王の座はグラフに譲りますが、ナブラチロワが全英で1982年~1990年まで9年連続決勝進出、6連覇含む7回優勝しています。そしてモニカ・セレシュが台頭してきます。

ATP TOUR RANKINGS 1990/1/29
1.イワン・レンドル
2.ボリス・ベッカー
3.ステファン・エドバーグ
4.ブラッド・ギルバート
5.マイケル・チャン
6.ジョン・マッケンロー
7.アーロン・クリックスタイン
8.アンドレ・アガシ
9.ヤニック・ノア
10.マッツ・ヴィランデル

WITA COMPUTER RANKINGS 1990/2/5
1.ステフィ・グラフ
2.マルチナ・ナブラチロバ
3.ガブリエラ・サバチーニ
4.ジナ・ガリソン
5.アランチャ・サンチェス・ビカリオ
6.モニカ・セレス
7.メリー・ジョー・フェルナンデス
8.マニュエラ・マリーバ
9.コンチタ・マルチネス
10.クリス・エバート

この年の全豪オープンで伊達公子選手がベスト16入りしています。

昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 10:18 | コメント(0)| トラックバック(0)

感動!ローズウォールを見た

私よりだいぶテニスのベテランの人達は、
結構な確率でローズウォールを賞賛します。
雑誌などでも名選手として上位にあげられています。

ローズウォールについては雑誌の記事やバックハンドの連続写真しか見たことがありませんでした。
そのためどんなプレイをするか、以前から見てみたかったのですが、それがかないました。

たぶんないだろうとダメ元でYouTubeで検索したところ、
いくつか動画がでてきました。
はじめて見るローズウォール、想像と少し違うところがありました。
それはフォアハンドで、大昔に習った薄いグリップでラケットを立て押し出して打つ、というものではなく、しなやかな腕の振りで大きなフォロースルーでした。

オールラウンドなテニス、真似できないけど参考になります。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 12:52 | コメント(0)| トラックバック(0)

1996 伊達公子選手突然の引退

*参考:テニスジャーナル1996 12月号

1996を振り返って・・・

日本のテニス界に残る名勝負、歴史的勝利、フェドカップ対グラフ戦、ウィンブルドンベスト4。
1996年の伊達公子選手は素晴らしい実績を挙げています。
ところがその年に引退を表明、競技の舞台から去ります。
テニス界の関係者は
「よくやった、いいときに辞める判断をした」
「まだやれる、あと数年できる」
と意見がわかれていました。
そんな中で伊達選手の両親は、伊達選手自身が考えたことなので了承して欲しい。本当によく努力し立派な成績を残してくれたと思う。また、プロテニスプレイヤーから1人の若い女性に戻る娘を静かに暖かく見守って欲しいと答えています。

当時フェドカップのグラフ戦を見ていて驚いたことがあります。
グラフのフォアハンドストロークは威力、安定性を兼ね備えた当時世界屈指のものでした。
おぼろげな記憶ですが、試合はフォアのクロスの打ち合いとなる展開が多く、グラフがクロスに深く打ち込んでくるのを伊達選手は全く打ち負けることなくクロスへ深く返球していました。
そのためグラフの攻撃の展開を封じ込めていました。

そんな試合を見てしばらくして引退、やはり驚きました。

ただ1992年世界のトップクラスへ飛躍していく年、テニスジャーナル誌のインタビューで、
選手生活はあと4~5年という考えだったようです。
「一応女ですからね、結婚もしたいので、そのくらいには終わりにしたいなと」
将来を暗示する発言がありました。

1996年の引退は1992年に考えていた伊達選手のロードマップ通りの行動だったのかもしれません。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 12:00 | コメント(0)| トラックバック(0)

ビランデル知ってる?

1982年全仏で彗星の如く現れ、ビラスを破り17歳で初優勝。
その後も全豪2連覇、1988年はウィンブルドン以外のグランドスラムをすべて制しています。
スェーデンの選手で、ボルグ引退のあと、スウェーデン黄金時代を築きます。(エドバーグ、ヤリードらと)
全豪3回、全仏3回、全米1回、計7回優勝。
どちらかというと地味な感じで、ほぼ同じ時代に活躍したエドバーグに脚光があたっていた印象があります。
安定して強いトップスピンのフォア、両手打ちバック、タッチのいいボレー、
そしてロングマッチにも強い、とてもいい選手でした。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 18:35 | コメント(4)| トラックバック(0)

1983年のテニスシーン

1983年のテニスシーン

*参考:スマッシュ1983年1月~12月号

マッケンロー時代となっていますが、コナーズ、レンドルが
その座をお脅かす存在として立ちはだかります。
復帰しようとしていたボルグは結局引退します。
次を狙う世代としてレンドル、ノアを筆頭に、若手が台頭します。

・ボルグ引退
・デ杯、アルゼンチンがアメリカを破る。
・次世代の台頭 ビランデル、アリアス、ルコント、キャッシュ、フォルジェ
・全仏ノアが優勝、ビランデルをストレートで下す。
 37年振りのフランス人チャンピオン
 女子はエバートが3年振り5回目の優勝。
・全英マッケンローが2度目の優勝、ノーシードのクリスルイスを下す。
 女子はナブラチロワが4度目の優勝。39歳キング夫人ベスト4。
・ビラス、ギャランティ問題で1年間出場停止。
・全米はコナーズがレンドルを破り優勝。
 女子はナブラチロワがエバートに勝ち初優勝。

スマッシュ1983年
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 16:10 | コメント(0)| トラックバック(0)

1995年ウィンブルドン

*参考:テニスジャーナル1995年9月号

1995年、この年開催されたウィンブルドンは
松岡修造さんと伊達公子さんがそろってベスト8入りした年です。
伊達さんはサーブ&ボレースタイルのノボトナに準々決勝で敗戦しました。
しかし芝を得意とするノボトナに果敢に攻め、新たな可能性を示したようです。
松岡さんにとって最高の実績となるこの年のウィンブルドン、
1回戦、3回戦をフルセットで勝って、精神面の強さをみせました。
サンプラスとの準々決勝は7-6 4-6 6-4 6-2で敗退したが、
日本のテニスファンに希望を与えた出来事でした。

男子優勝 サンプラス、準優勝 ベッカ、ベスト4 アガシ イワニセビッチ

女子優勝 グラフ、準優勝 サンチェス、ベスト4 ノボトナ マルチネス
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 13:55 | コメント(0)| トラックバック(0)

1982年のテニスシーン

1982年のテニスシーン

*参考:スマッシュ1982年1月号~12月号

前年ボルグに勝ち、マッケンローが男子をリードしていきます。ボルグは長期休養に入り、いよいよマッケンロー時代だと言われますが、コナーズの活躍により、ランキング1位をコナーズに奪われます。レンドルがいよいよグランドスラムを狙うポジションにきます。
マッケンロー、コナーズ、レンドルの3強

【独断トピックス】
・女子5強時代?ナブラチロワ、エバート、オースチン、マンドリコワ、イエーガー
・世界のジュニアはトップスピンだけでは勝てない時代
・レンドル44連勝、ノアが連勝を止める
・ボルグ休養
・レンドル、マッケンローに連勝
・ブリジストンダブルス ナブラチロワ・シュライバー組が優勝
・全仏 17歳のビランデルが優勝
    女子はナブラチロワが初優勝
・全英 コナーズ8年振りに優勝、マッケンローを破る
    女子はナブラチロワ
・マッケンローは練習不足、キング夫人の忠告
・全米 コナーズ優勝、世界ランク1位に返り咲く
    女子はエバートが6度目の優勝
・井上悦子、アジア競技大会優勝
・全豪 ヨハンクリークが2連覇

スマッシュ1982年











昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 11:05 | コメント(0)| トラックバック(0)

1981年のテニスシーン

1981年のテニスシーン

*参考:スマッシュ1981年2月号~12月号

来るべき日が来た、そんな印象をもつ年です。
この年の話題はマッケンローがボルグを破ったという出来事に染まっています。
さらに若いレンドルが非常に正確なトップスピンストロークでトップ争いに加わります。
レンドル、ノア、ゴメスなどが度々大会記事に載るようになってきました。
時代はマッケンローの時代になっていきます。

男子はマッケンロー、ボルグ、コナーズ、レンドルがトップ争い、
第2集団としてクレルク、ビラス、ゲルライテス、ジーン・メイヤーなどが後を追います、

【独断トピックス】
・全豪、ティチャーがサーブ力を活かし初優勝
・デ杯 日本VSスウェーデン 日本5戦全敗
・サントリーカップ コナーズ2連覇
・全仏 ボルグ4連覇、6度目の優勝
    女子はマンドリコワが全豪に続いて優勝
・全英 マッケンローが初優勝 決勝でボルグを破る
・全米 マッケンロー3連覇 またも決勝でボルグを破る
    女子はオースチンがナブラチロワを破って優勝
・デ杯決勝 アメリカVSアルゼンチン
    球足の速いコートを選びマッケンローに全て託す
    激戦をアメリカがかろうじて制した。1981年イヤー
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 18:02 | コメント(0)| トラックバック(0)

1980年のテニスシーン

1980年のテニスシーン   モモビラス16歳

参考:スマッシュ1980年1月~12月号

ボルグ、マッケンロー時代になります。タイプの違う二人の天才がグランドスラムで鎬を削ります。
ボルグVSマッケンローの死闘は1980年、1981年のテニスシーンで圧倒的な存在感でした。
ウィンブルドン、全米のともに決勝で対戦、極めて拮抗した状況が2年間続きます(ボルグのバーンアウトまで)。
女子はエバート、ナブラチロワ時代、そこにオースチンやグーラゴンが割り込み、オースチンに続きシュライバー、イエーガーといった若手が台頭しています。

【独断トピックス】
・グランプリマスターズ ボルグ初優勝
・デビスカップ 米国がアルゼンチンに敗退
・サントリーカップ コナーズ優勝
・ブリジストンダブルス キング・ナブラチロワ組優勝
・オースチン、一時的にナブラチロワ抜きランキング1位に
・全仏 ボルグ3連覇 女子はエバート2連覇
・全英 ボルグ5連覇 女子は9年ぶりにグーラゴン優勝
・空前のテニスブームでテニスエルボーが増加 アメリカではテニスとジョギングがブーム
・インターハイ 柳川高校14連覇
・全米 マッケンロー2連覇 決勝でボルグを破る 女子はエバートがマンドリコワ破り優勝

1980年US

smash1980-1-12


昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 11:34 | コメント(0)| トラックバック(0)

サーブ速度1979年

1979年セイコーワールドスーパーテニスにて、スピードガンによるサービス速度測定が試合中に行われました。

*参考:スマッシュ1980年1月号

スピードガンの測定は飛球方向とガンの角度が一致したときに正確な速度測定ができるため、かなり苦労した様子。

ファーストサーブ
1位 ヤニック・ノア 173km/h
2位 ビクター・アマヤ 169km/h
3位 ロスコ・タナー 168km/h
4位 ギレルモ・ビラス 162km/h
5位 テリー・ムーア 161km/h
6位 ビヨン・ボルグ 160km/h
他には・・・
ジミー・コナーズ 141km/h
福井烈 154km/h

そうです、現代の女子選手よりスピードが遅い!
ただし、この時代はあの反発力のないウッドラケットの時代。
重い、スポット小、振動大、剛性不足、現代より劣るストリングス

逆転の発想!
ウィリアムズ姉妹がこの当時のウッドラケットでサーブを打ったら何キロでるか?
私の予想 140km/hがせいぜい。
 
ヤニック・ノアは現代でも通用する、極めて高い身体能力の選手でした。それを基準に20%ダウンが女子選手の最高速度と推測しました。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 13:56 | コメント(0)| トラックバック(0)

サーブ&ボレーが消えた理由 最終回 ボロテリー2つの予言

サーブ&ボレーが消えた理由 最終回 ボロテリー2つの予言

*参考:テニスジャーナル1992年4月号
「ニック・ボロテリーが語る 90年代のテニス界」

前回、ボロテリーの新しい指導法=システム5 そしてテニスコートを5つのエリアに分け、ゾーン1~ゾーン5として各エリアを呼び、それぞれ選択するショットがあることを紹介しました。

ボロテリーが予言をする前まで、テニスラケットは新たな時代になっていて、宇宙時代の材質の出現、構造上の変化、軽量、頑強、コントロール性、パワー、ラケットの厚さや断面形状の変化などの恩恵を受け、ウィンブルドンは強烈なビッグサーバーの時代になっていました。(参考:9月22日の日記)

ゾーン5から常に強烈なサーブをセンターやサイドに打ち込み、
厳しい反撃(リターン)を受けることなくゾーン2、ゾーン1へ移動完了。
そのゾーン1、ゾーン2で優れたネットプレイでポイントをとります。
レシーブゲームでもゾーン1、2に進出すれば、ゲームが優位になる、
この頃のウィンブルドンはそんな時代でした。


1992年4月 ボロテリーが予言したことは2つ
「1990年代のプレイヤーにメインとなるショット」

① サービス・リターン
ビッグ・サーバーへの対抗、リターン力で相手のサービスアドバンテージを奪う
② 相手の逆をつくショット
プレイヤーの動きが素早くなり、コーナーからのリカバリーが速くなったため、いちばん攻めることができるのは、相手の逆、への攻撃 つまり意外性


この1992年当時、システム5の恩恵を受けた選手が、大きな実績を上げています。
ジム・クーリエ・・・世界NO1、全豪、全仏優勝、翌1993年全英準優勝
アンドレ・アガシ・・・1992年全英優勝

このインタビューの本質、ボロテリーの予言とはすなわち、
“世の中には予言に聞こえるが、ボロテリーにとっては必ず起きる現実”
すでに先をいっているボロテリー、だからキーワードを公開=余裕 ということ。


クーリエやアガシはボロテリーの予言をこの時期すでに実践。
従来ゾーン5まで下がって戦う、ビッグサーバーのリターン、ストローク戦を、ベースライン上、ときにゾーン4まで前に進め、
・リターンでサービスアドバンテージを奪う
・速いテンポの目的を持ったショットの組み立て、そして相手をかく乱、
 逆をつくショットで止めを確実に刺す。
・上記戦術の実践を支える戦略、システム5とそれに基づいたスポーツ科学の恩恵。
 高度なリターンとライジングでの自由なボールコントロールを実装済み。


クーリエ、アガシ、後のさらに高度化した選手を生む“きっかけ”・・・

そしてなぜか似たようなことを、当時世界ランク25位の伊達選手が実践してます。世界トップを狙う飛躍の準備ができていた、ということになります。

日本人だけではないのでしょうが、とかく今ある現実を見て、
素直に受け入れたり、何も疑問に思わないという風潮があります。
はやり言葉「KY=空気を読まない」これはイノベーションには敵となる考え。
ただし人間同士の尊重には大事なこと、世の中難しいもんだな・・・と感じます。

折を見て、私がKYとなり、女子日本選手が世界で戦う方法について、
日記にしたいと思っています。
見たくない? はい、自己満足ですから、自由にやります。ブログだし。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 18:20 | コメント(2)| トラックバック(0)

復習 全英男子シングルス王者

ウィンブルドン男子シングルスのファイナリストが下に並んでいます。
(ボルグ初優勝以降、2008年まで)
タイプ別に色分けしました。
赤字=ビッグサーブのサーブ&ボレー型
青字=システム5型
灰色字=ビッグサーブのストローカー(ゾーン5で主に戦う)
緑字=万能異次元型
黒字=よくわからないタイプ、あるいは私自身知らない

*ただし昔はウィンブルドンになると、
ストローカーでもサーブ&ボレーやネットプレイにチャレンジしています。
(素人が見てもぎこちない感じでしたが・・・)

1976年 ビョルン・ボルグ イリ・ナスターゼ 6-4 6-2 9-7  
1977年 ビョルン・ボルグ ジミー・コナーズ 3-6 6-2 6-1 5-7 6-4  
1978年 ビョルン・ボルグ ジミー・コナーズ 6-2 6-2 6-3  
1979年 ビョルン・ボルグ ロスコー・タナー 6-7 6-1 3-6 6-3 6-4  
1980年 ビョルン・ボルグ ジョン・マッケンロー 1-6 7-5 6-3 6-7 8-6
1981年 ジョン・マッケンロー ビョルン・ボルグ 4-6 7-6 7-6 6-4  
1982年 ジミー・コナーズ ジョン・マッケンロー 3-6 6-3 6-7 7-6 6-4  
1983年 ジョン・マッケンロー クリス・ルイス 6-2 6-2 6-2  
1984年 ジョン・マッケンロー ジミー・コナーズ 6-1 6-1 6-2  
1985年 ボリス・ベッカー ケビン・カレン 6-3 6-7 7-6 6-4
1986年 ボリス・ベッカー イワン・レンドル 6-4 6-3 7-5  
1987年 パット・キャッシュ イワン・レンドル 7-6 6-2 7-5  
1988年 ステファン・エドベリ ボリス・ベッカー 4-6 7-6 6-4 6-2  
1989年 ボリス・ベッカー ステファン・エドベリ 6-0 7-6 6-4  
1990年 ステファン・エドベリ ボリス・ベッカー 6-2 6-2 3-6 3-6 6-4  
1991年 ミヒャエル・シュティヒ ボリス・ベッカー 6-4 7-6 6-4  
ここは"きっかけ”ボロテリーの予言があった年(1992年4月)
1992年 アンドレ・アガシ ゴラン・イワニセビッチ 6-7 6-4 6-4 1-6 6-4  
1993年 ピート・サンプラス ジム・クーリエ 7-6 7-6 3-6 6-3  
1994年 ピート・サンプラス ゴラン・イワニセビッチ 7-6 7-6 6-0  
1995年 ピート・サンプラス ボリス・ベッカー 6-7 6-2 6-4 6-2  
1996年 リカルド・クライチェク マラビーヤ・ワシントン 6-3 6-4 6-3  
1997年 ピート・サンプラス セドリック・ピオリーン 6-4 6-2 6-4  
1998年 ピート・サンプラス ゴラン・イワニセビッチ 6-7 7-6 6-4 3-6 6-2  
1999年 ピート・サンプラス アンドレ・アガシ 6-3 6-4 7-5  
2000年 ピート・サンプラス パトリック・ラフター 6-7 7-6 6-4 6-2
2001年 ゴラン・イワニセビッチ パトリック・ラフター 6-3 3-6 6-3 2-6 9-7  
2002年 レイトン・ヒューイット ダビド・ナルバンディアン 6-1 6-3 6-2  
2003年 ロジャー・フェデラー マーク・フィリプーシス 7-6 6-2 7-6  
2004年 ロジャー・フェデラー アンディ・ロディック 4-6 7-5 7-6 6-4  
2005年 ロジャー・フェデラー アンディ・ロディック 6-2 7-6 6-4  
2006年 ロジャー・フェデラー ラファエル・ナダル 6-0 7-6 6-7 6-3  
2007年 ロジャー・フェデラー ラファエル・ナダル 7-6 4-6 7-6 2-6 6-2
2008年 ラファエル・ナダル ロジャー・フェデラー 6-4 6-4 6-7 6-7 9-7


コナーズは何型?サーブは遅い、サーブ&ボレーは多用しない、ネットには付く・・・
もしかしたらコナーズはシステム5の研究対象?
システム5型(青字)が少ないのはアガシの故障による一時離脱、クーリエのバーン・アウトが理由?
そして知らない選手も多い・・・
さらにナダルは最新型?イノベーションが起きた?

*エドバーグは桁外れのツイストを打つのでビッグサーバーと定義
*サンプラスは万能異次元型のプロトタイプ?一応サーブ&ボレー型と定義

皆さんの見方はどんなでしょうか?
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 21:11 | コメント(0)| トラックバック(0)

サーブ&ボレーが消えた理由3 システム5 ボロテリーのチャレンジ

サーブ&ボレーが消えた理由3 システム5 ボロテリーのチャレンジ

*参考:テニスジャーナル1992年4月号
「ニック・ボロテリーが語る 90年代のテニス界」

3回目の今回は、ボロテリーが新たに取り組んだ指導法「システム5」について紹介、そしてサーブ&ボレー衰退の“きっかけ”に近づきます。
最終回は、もちろん結論であるとともに、このテニスジャーナルで私が気が付いた“ボロテリーインタビューの本質”についても書くつもりです。

システム5と呼ぶその指導法は、複数の要素で構成された概念のようで、“精神的な効果を促すもの”と述べています。構成される要素は、身体、成長、個性、感情、競争心、技術向上意欲。テニス技術、戦略、戦術も含まれているようです。

選手の全体像(つまり個人としての全て?)を捉えることで、精神面を支え、弱点を捉え、長所を伸ばし、技術向上を実現するもの、個性に合わせ、最も効果的かつ総合的なトレーニングをする最高のプログラムという定義をしています。

システム5は教える側、教わる側ともに革新的なアプローチと述べています。そして、わかりやすい説明、色、番号などを使った表現(見える化?)のよう。米国プロテニス協会との連携で、普遍的に理解される指導法(バイブル?)と、すでにこの1992年時点で、アメリカではなりつつあるようです。素晴らしい!

1992年頃(たぶん)、私がボロテリー関連情報で唯一学び、実践したのは、システム5の中で、プレイエリアをゾーン1からゾーン5まで定義し、各エリアで選択すべき適切なショットがある、ということです。残念ながらその当時の雑誌が残っていません。
私の記憶
ゾーン1・・・ネットからサービスライン中間地点までの地域
ゾーン2・・・サービスライン中間地点からサービスラインまでの地域
ゾーン3・・・サービスラインからベースライン中間地点までの地域
ゾーン4・・・ベースライン中間地点からベースラインまでの地域
ゾーン5・・・ベースライン後方地域

ボロテリーが“きっかけ”をつくるまでは、ゾーン1、ゾーン2のプレーに優れた強力なサービスの選手が、最もウィンブルドンの王者に近い位置にいた、ということになります。
すなわちサーブ&ボレーをするプレイヤー!


ちなみにナダルが凄いのは、クレーコートでゾーン5から攻撃できることです。(もちろんナダルが強い理由のひとつ)

私自身が学んだ効果は、ゾーン2、3でストロークを必要以上にハードヒットしなくなったこと。
(バックアウトするミスが増大、ゲーム全体、精神的ダメージ大)

最近困った現象があります。
ラケット販売側が、適切な広告表現をしないため、アマチュアでもゾーン4、ゾーン5でのハードヒットで楽々バックアウト!ゾーン2、ゾーン3でトップスピンコントロールが困難!無駄な買い物をさせられる消費者が多いと想像しています。あたかも万能なラケットと思わせる表現、実態と乖離しています。
私のリアルでのプレーを見た方はご存知ですが、どうみてもトップスピナー、でもその万能ラケットはとても使いづらい。相当なレベルに達していないと、広告表現の通りにはなりません。身の回りで同じ印象をもつ方は結構います。
ラケットメーカーの善意に期待します。

さて最終回ですが、ボロテリーの予言、想像がついているかと思います。
是非また見に来てください。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 21:08 | コメント(2)| トラックバック(0)

サーブ&ボレーが消えた理由2 用具の技術革新

サーブ&ボレーが消えた理由2 用具の技術革新

*参考:テニスジャーナル1992年4月号
「ニック・ボロテリーが語る 90年代のテニス界」

前回「その1 ボロテリーの存在」では、サーブ&ボレーが消えた“きっかけ”としてボロテリーという優れたリーダーにフォーカスしました。きっかけは、イノベーションを強く求めるボロテリーという人物の存在が下地にあります。

2回目の今回、ボロテリーが1992年当時、テニスに関わる用具とスポーツ科学についてどのように考えていたかを紹介します。(私のメインテーマは最後にあります
前回の繰り返しになりますが、この優れた人物が最も重要視しているのはスポーツ科学です。

1992年から、さらに10年前を振り返りコメントしています。
「大きな発展があった」と述べていて、ラケットフレーム、ストリングス、グリップ、衝撃吸収材、シューズのことに触れています。1982年頃を振り返り、当時のアマチュアプレイヤーへ洒落たコメントをしています。
ラケットについて
“たとえば想像してみてください。毎週土曜日の朝のクラブでのダブルスで、古い木製の「ドネー・ボルグ・プロ」(ラケット)を使うことができますか?
―もしかしたらクラブのメンバーシップを失うかも―。”

オールドファンなら絶対知っているラケット、懐かしい、とても人気がありました。
2008年の今日も全く同じ状況なのは、ブロガーの皆さんも実感されているとおりです。
私は2008年現在、プリンス グラファイトLBを使っています。つまりボルグ・プロ状況。
テニスを楽しんでいるけど、実はちょっと勝ちたい。悩みがひとつ増えました。

シューズについて
“履きやすい「アディダス・スタン・スミス」(テニス・スニーカー)を履いてプレイすることは?
―実は世界でいちばん売れているというこのシューズ、ボートの上では履くこともあるかもしれませんが・・・・・・。”

私は10年前に買った靴、2~3ヶ月前に壊れたので、新しい靴を買いました、セーフ!
それにしてもアディダス・スタン・スミス、明日にでもテニス殿堂入りしないと・・・
たまに行く大きなアウトレット・ショッピング・モールで一番沢山ありました。
今度からスタン・スミスの前を通るとき、敬意を評しご挨拶しないと・・・

宇宙時代の材質の出現、構造上の変化、軽量、頑強、コントロール性、パワー。
開発エンジニアの研究で、ラケットの厚さや断面形状の変化などに触れ、アマチュアプレイヤーにも大きな影響があることを述べています。

スポーツ科学について
1980年代にテニス・エルボー対策で始まったメディカル面の発展に触れ、“ワン・ストップ・ショッピング・アプローチ”という指導法で、前回とりあげた必要事項について、それぞれの専門分野で最高の人材を
最高の方法でプレイヤーに提供しているようです。

実はこれからが私の本題です。
予定として
3回目 システム5 ボロテリーのチャレンジ
最終回 ボロテリー2つの予言

とするつもりです。

先日の東レ・シングルス予選でのクルム伊達公子選手の敗退について、
メディアや本ブログも含め、様々なところで様々な評価がなされています。
改めて昔のニック・ボロテリー、ささやかな研究をして学びました。
そして過去のなま伊達選手観察、先日のなまクルム伊達選手観察によって、
クルム伊達選手はWTA40位レベルの選手には勝つ!
その実力を必要十分、有しているという結論に達しました。


1992年ボロテリーが予言している同時期、ある選手がその予言をなぜか実行しています。
それが伊達公子選手。まさに世界トップの道を目指し羽ばたく瞬間です。

パワー、打球スピード、フットワーク 最高峰だった女王グラフに勝ったあの試合、
全くそのスピードに遅れず、真似することができない曲芸的ライジング打法により、
“テンポ”という観点ではときにグラフを上回り、
“予想外”という観点ではグラフを凌ぐ
その姿は、2008年の今日もあまり変わらないことがわかりました。
限りなくグランドスラム優勝に近い天才が、なぜか日本にいたんですね。
それほど偉大な選手、だから現在の多少力自慢ぐらいには対応できるわけです。
私の結論を後押ししてくれるのは、ブロガーD304さんのクルム伊達選手コメント記事。
自信と確信がなければ言えません。

クルム伊達選手の戦う相手
・時代の変化を受け入れ柔軟に対応する必要性
・避けられない年齢の問題
・楽しみ、リラックスし、最高の集中力を意図的に生み出す努力
16年前、とっくに実現しているボロテリー、たぶんもっともっと先へ進んでる?
2008年、日本の英知をどれだけ集約してクルム伊達選手をサポートできるか?
日本のスポーツ科学の力、とても関心があります。
偉大なイノベーター、ボロテリーに勝てるでしょうか、期待大!

*毎度ど素人の観察、恐縮です。そしてありがとうテニスジャーナル&スマッシュ!
つかれた~書くの・・・避けられない年齢の問題
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 18:38 | コメント(0)| トラックバック(0)

サーブ&ボレーが消えた理由1 ボロテリーの存在

いいコラムを書く武田薫氏の著作
「サーブ&ボレーはなぜ消えたのか・・・テニスに見る時代の欲望」
ウィンブルドンで活躍する選手の変化と、それに伴う芝が削れたゾーンの変化に着目しています。

この本をAUGEさんに教えてもらい、少し前に興味深く読みました。サーブ&ボレーが消えた理由、残念ながらしっかり結論づけていません。印象としてはサブタイトルがこの本の本質かな?と思いました。

実は、サーブ&ボレーが消えた理由の一部を発見しました。

*参考:テニスジャーナル1992年4月号
「ニック・ボロテリーが語る 90年代のテニス界」

ここに武田薫氏も発見できなかったサーブ&ボレー衰退の“きっかけ”があります。

この頃、ボロテリーのアカデミーからアガシ、クーリエ、セレシュといった、今まで考えられなかったようなベースラインからのハードヒッターを続々輩出しています。

ボロテリーは、1992年以降、テニス界がどうなるか、その予測を語っています。
1979年来日のときもそうですが、ボロテリーには物事の道理を理解し、変化を受け入れ、そして科学的なアプローチで選手を育てる、そのために適切な人材を配置し、その中で優れたリーダーシップをとるという素養を強く感じます。
だから日本も含め、世界中のジュニアが集まるのは当然、必然であると思われます。

ボロテリーは筋力、コンディショニング、睡眠、心理学、栄養学、スピード、ケガの予防、これらを最高のプレーをするための必要事項と位置づけ、選手にも理解させています。
スポーツ科学こそが最も重要なコンセプトだと説いています。
選手達は、自分の戦術やテクニックは、上記必要事項に基づき正しいトレーニングをした、ということを理解し受け入れているようです。
あの有名なジム・レーヤー博士もアカデミーに名を連ねています。
忘れないで頂きたいには、これが16年前にすでに実践されているということ。

ここでボロテリーが語る内容は非常に興味深いものなので、何回かに分けて紹介します。
次回その2は「サーブ&ボレーが消えた理由 用具の技術革新」 です。
是非また見にきてください。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 21:42 | コメント(2)| トラックバック(0)

1979年のテニスシーン

1979年のテニスシーン  モモビラス15歳

*参考:スマッシュ1979年1月~12月号

この年はマッケンロー時代の到来を感じさせる年です。初のグランドスラムタイトル全米での優勝、時の王者ボルグ、そしてコナーズ、この中に割り込みBig3に位置することになります。すでにその行儀の悪さはテニスファン以外にも有名となっていて、マッケンローのアイドル、ロッド・レーバーは
「ボルグ、ビラスのような顔つきをマッケンローがするようになれば、全体的な精神集中が可能となっている、そうなればいいと望んでいる。」
と語っています。

男子の若手は、クレルク、クリーク、テルシャー、マクナマラ、ぺチらが台頭、女子はオースチンが早くもグランドスラムを奪取します。ITFがジュニアの世界チャンピオンを公認することになり、1978年初代のジュニアチャンピオンとして、レンドルとマンドリコワが選ばれます。私のとっても馴染みのある選手達が大挙して登場し始めます。

【独断トピックス】
・全豪ビラス初優勝。第1シード ビラス、第2シード クレルク と史上初めてグランドスラムで
アルゼンチン選手が上位2シードに位置する大会となりました。
・全豪女子ダブルス 佐藤直子準優勝(ペア・ウィトクロス)の快挙!
・クリスエバート、ジョンロイドと結婚
・全仏ボルグ優勝。ビクターぺチ旋風、ビラス、ソロモン、バラズッチ、コナーズを破り準優勝。
 女子はエバートが楽勝
・ウィンブルドン ボルグ4連覇。マッケンローは4回戦敗退。
 女子は2年連続ナブラチロワVSエバート、ナブラチロワ2連覇
・全米マッケンロー初優勝。ついにテニスにとって最高の時代に向かっていきます。
 女子は16歳の天才オースチンが史上最年少優勝、エバートの5連覇ならず

・全日本選手権 福井烈3連覇

スマッシュ1979年

昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 22:14 | コメント(3)| トラックバック(0)

1978年のテニスシーン

1978年のテニスシーン
*参考:スマッシュ1978年1月~12月号

前年ビラスが大躍進したことから、この年の前半は「B V C 」時代という予測がされています。
B=ボルグ、V=ビラス、C=コナーズ
この中で誰が一歩抜け出すかというところが男子テニスの最大関心事のようでした。時代はボルグの時代へ突入します。コナーズは2番手、ビラスは不調となり脱落、新たなスターとなるマッケンローのトップ入りを待つ、静かな年であり、テニスはいよいよ最高の時代、世界的な黄金時代(テニスブーム)を迎える前夜ともいうべき年です。

女子はナブラチロワが体を絞り込み、精神的な安定とともに、エバートと並ぶ存在になります。また前年衝撃のデビューとなったオースチンに続き、シュライバーが台頭します。また日本女子は3人娘(井上悦子、岡川恵美子、岡本久美子)が徐々に台頭してきます。

【独断トピックス】
・ボルグ、ビラス、コナーズの時代?
・全豪 ゲルライテス優勝
・80年代に活躍するジュニア レンドル、ノアの出現
・ボルグの強さは適応力と沈着さ?
・サントリーカップ BVC+オランテス出場 ボルグ優勝
・全仏 ボルグ優勝
・ウィンブルドン ボルグ3連覇、コナーズは2番手に転落、前年衝撃デビューのマッケンローは1回戦負け
 女子はナブラチロワがエバートを破り初優勝、ウィンブルドンの女王の道へ
・全米 コナーズがボルグを破り優勝、マッケンローはベスト4
 女子はエバート優勝。15歳のパム・シュライバーが決勝進出の快挙
・全国中学校選手権 井上悦子 VS 岡川恵美子 井上優勝
・全日本選手権 福井烈2連覇 女子は米沢そのえ初優勝 中学2年生の岡本久美子、3回戦進出の快挙

写真は全日本選手権、中学2年生の岡本久美子さんスマッシュ1978年岡本久美子さん
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 21:33 | コメント(0)| トラックバック(0)

1977年のテニスシーン

1977年のテニスシーン  モモビラス13歳 

参考:スマッシュ1977年1月号~12月号

この年は何と言ってもギレルモ・ビラスの年
全仏、全米含め17大会優勝、クレーコート53連勝、デ杯でアメリカ撃破、全豪準優勝。ただしウィンブルドンは3回戦敗退。
この頃、レーバーの再来と言われていたビラスですが、やはりレーバーと大きく違ったのはウィンブルドンの実績。ローボレーの処理が下手であるという指摘が出ていました。
この年をリアルタイムで見ることができなかったのが残念です。

独断トピックス
・ボルグ 愛のスマッシュ、マリアナ(ルーマニアのテニス選手)と結婚
・米沢そのえ 全日本室内オープン優勝 軟式から硬式へ転向3年目の快挙
・全豪 R・タナー優勝
・アメリカのニュースター B・ゴットフリード、世界NO.1を目指すポジションへ
・アメリカでは4番目に人気があるテニス(野球、フットボール、バスケットボール)テニスブームの到来・・・ジミー・コナーズ談
・ビラス 全仏優勝、生涯2位の汚名返上
・ウィンブルドン ボルグ2連覇
・270位のマッケンロー、予選からウィンブルドンBest4の快挙
・V・ウェード 遅すぎた栄冠(31歳でウィンブルドン初優勝)
・ビラス 全米優勝 クレーの王者という称号
・勝ちまくるビラス クレーコート53連勝
・スパゲッティ・ラケット旋風 誰もがボルグやビラスの打球を打てる
 ビラスの連勝を止めたのは、選手ではなくスパゲッティ・ラケット?


下の写真は13歳の井上悦子さん
とても綺麗なグリップ(ラケットの握り)をされてます。
スマッシュ1977年井上悦子さん

スマッシュの表紙
スマッシュ1977年表紙
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 18:10 | コメント(2)| トラックバック(0)

岡本久美子さん 輝いていた人

1965年生まれの岡本久美子さん、モモビラスと同じ学年の美人テニスプレイヤーです。
岡川恵美子さん、井上悦子さんとともに3人娘と称され、日本女子テニスを盛り上げた偉大な功労者の一人です。
この3人娘の活躍が、後に伊達公子、沢松奈生子という名選手を生み出す原動力になっています。

なぜブログに岡本久美子さんのことを書こうと思ったかというと・・・
その理由は「7月21日晴れ 見てはいけない夏休みの観察日記」から推測してみてください。
答えは日本テニス協会サイト内、プレイヤーページをみるとわかります。
・・・謎かけになってすいません・・・

私の記憶でも当時この3人に優劣をつけるのは難しく、「鎬を削る」とはまさにこの3人のテニスの挑戦を意味するようなものでした。

サントリージャパンオープンに優勝した岡本久美子さんの功績は、Wikipediaで詳細に記載されています。
またWTA公式サイトにも KUMIKO OKAMOTO (JPN) のページに歴史が刻まれています。


モモビラスの観察日記、日本テニス協会プレイヤーページそしてWikipediaの岡本久美子さんの記載、
この3つを見ると、私が何を主張したいのか、感じて頂けると思います。


そしてこれはほんの一例でしかありません。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 12:40 | コメント(2)| トラックバック(0)

1976年のテニスシーン

1976年のテニスシーン モモビラス12歳のころ
*参考:スマッシュ1976年1月~12月号

独断トピックス
沢松和子 ジャパンオープン単複制覇
デビスカップ 対インド戦12連敗(坂井選手、神和住選手奮闘及ばず)
沢松和子引退 「ラケットは美容と健康のために握ります」
佐藤直子 全日本室内2連覇
デビスカップ スウェーデン初優勝(ボルグがダブルスにでている!)
ロッドレーバーの再来と言われ始めたビラス
札束乱舞のテニス界、稼ぎまくるコナーズ、札束時代に背を向け静かに去るレーバー
ポスト沢松 佐藤直子台頭、日本女子のリーダーへ
エンターテイメントな要素を求めるコナーズと伝統主義 どちらが正しい?
アドリアーノ・パナッタ旋風 全伊、全仏優勝
ウィンブルドン ボルグ初優勝
エバート ウィンブルドン単複2連覇
世代交代完了 レーバー、ローズウォールからコナーズ、ボルグへ
エバート 全米2連覇

下の連続写真は
日本の壁 ビジャイ・アムリトラジ
セイコースーパーテニスの練習でレンドルとV・アムリトラジの
信じられない速度の打ち合いを目撃したことがあります。
アムリトラジ

スマッシュ表紙 1月から
沢松、キング、エバート、ボルグ、グーラゴン、コナーズ、
A清村、ビラス、ボルグ、ソロモン、不明(調査中)、ラミレススマッシュ1976年表紙
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 15:49 | コメント(3)| トラックバック(0)

1975年のテニスシーン

1975年のテニスシーン モモビラス11歳のころ
*参考:スマッシュ1975年1月~12月号

独断トピックス
東レシルックトーナメント(シングルス) 沢松和子優勝
グンゼワールドテニス(ダブルス) 沢松和子優勝(ペア ジュリーヘルドマン)
全豪オープン ニューカムがコナーズを破り優勝
坂井利郎全日本室内4連覇
18歳ナブラチロワ(マッスルちゃんと呼ばれている)頭角を現す
ビラス、日本では人気なし、ウィンブルドンではボルグ並みの人気なのに?
アーサー・アッシュウィンブルドン初優勝、巧妙な戦術でコナーズを破る
BJキング6度目のウィンブルドンシングルス優勝
沢松和子/A・清村ペア ウィンブルドンダブルス優勝
全米オープン オランテス優勝 巧妙なロブ、パス作戦でコナーズを破る、女子エバート初優勝
ナブラチロワ、亡命(チェコ→USA)
全日本 坂井利郎2連覇

アッシュが使った対コナーズ戦術、ロブ、遅い球を多用しコナーズのスピードテニスに持ち込まない、という方法をオランテスも使ったように見受けられます。

ウィンブルドンでのビラス人気
ビラス人気

スマッシュ表紙 1月号エバート、ニューカム、神和住、沢松、2月号レーバー、3月号ビラス
スマッシュ1975年1-3

スマッシュ表紙 4月号S・スミス、5月号エバート、6月号アレキサンダー
スマッシュ1975年4-6

スマッシュ表紙 7月号コナーズ、8月号タナー、9月号沢松
スマッシュ1975年7-9

スマッシュ表紙 10月号アッシュ、11月号ラッツ、12月号ニューカムスマッシュ1975年10-12
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 21:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

1974年のテニスシーン

以前、舅から借りてきた昔の雑誌スマッシュの1974年1月(創刊号)~1979年12月号を活用し、当時のテニスシーンを、年毎に軽く日記の中に残すことにしました。

まずは1974年のテニスシーンからです。
独断トピックス
・テニスの神様とロッド・レーバーが呼ばれていた
・コナーズ(全豪、全英、全米優勝)、エバート(全仏、全英優勝)時代の到来
・コナーズとエバート婚約
・エバート56連勝
・強いアイドル選手の台頭 エバート、ボルグ、ビラス
・ボルグの全仏優勝、ビラスのGPファイナル優勝 トップスピン時代の幕開け
・全日本室内 坂井利郎3連覇

1974年の状況(当時モモビラス10歳)を知って、最も感銘を受けたのはロッド・レーバーの凄さ。すでに選手生活の後期になっていましたが、連続写真をみると、現代の選手に全く見劣りせず、ずば抜けた存在であったことが想像できます。
レーバーのバックハンドボレー(こんなバランスで打てる選手は現代でもいますでしょうか?)

レーバーバックボレー

スマッシュ表紙 1月号(創刊号)ボルグ、2月号エバート、3月号コナーズ
スマッシュ1974-1-3

スマッシュ表紙 4月号ナスターゼ、5月号グーラゴン、6月号パナッタ
スマッシュ1974-4-6

スマッシュ表紙 7月号ニューカム、8月号コデス、9月号エバートとグーラゴン
スマッシュ1974-7-9

スマッシュ表紙 10月号沢松和子、11月号ボルグ、12月号ローズウォール
スマッシュ1974-10-12


昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 17:31 | コメント(0)| トラックバック(0)

素敵なクリス・エバート テニスクイーン

私が学生時代のころ、同年代の多くの女性は、テニスの見本としてクリス・エバートを参考にしていたような気がします。
また男性も、エバートのようなテニスをする女性を賛美し、ときには、テニスをする彼女を求めるとき、エバートのようであって欲しい、という願望を多くの人が持っていたと思います。
清潔感のある髪型、女性らしい淡い色あいのエレッセのウェア、スリムで姿勢のよい姿、落ち着いた表情

テニススタイルは、
・無理なくフラットに捉える上品で綺麗なフォアハンドのフォーム
・やはり綺麗なフォームでも、少し力強さを感じるバックハンド
・バランスのよい姿勢で捉えるボレー
・当時トスアップの見本とされたサーブ

打法うんぬんを超えた優雅で美しいテニスのあり方そのものがクリスエバートだった気がします。

以下は
スマッシュ1975年8月号 連続分解写真講座 クリス・エバートの連続写真
堪能しましょう。
エバートフォア

エバートバック

エバートボレー

エバートサーブ



昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 10:26 | コメント(0)| トラックバック(0)