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テニス浦島太郎 8年ぶりにテニスをまたはじめた40代のおじさんです。最近のテニスの変貌ぶりに驚きつつも、いかに上達できるか、日記にしています。

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16年前の伊達公子選手3

*参考:テニスジャーナル1992年4月号
 伊達公子のテニス

以前、昔の雑誌で見つけた伊達公子選手の特集、その内容を簡単に記事にしました。
世界のトップを狙い急上昇する直前の特集でした。
今回はその続編です。
過去の参考記事
①16年前の伊達公子選手
②続16年前の伊達公子選手

1992年4月の時点で伊達選手のランキングは25位、トップ10入りを狙えるところまできています。

伊達選手のかつての指導者のインタビューがありました。
以下キーワードだけ

園田学園 光国彰監督
10年に1人の逸材と感じた。
それはサーブの肩、面使いが抜群、競技に向いている気性こういった点で優れていた。
高校テニスの枠にはめず、のびのびやらせた。

小浦猛志コーチ
テニスをしてきた環境が良かった。
田舎の山の中でテニスをしていたから身体能力が高められた。
次に四の宮クラブという超名門できっちり教わった。
そして園田・・・本当にステディにベースのことだけ皆が教えた、その教える順番がよかった。

この1992年当時は坂井利郎氏がコーチになって、世界の頂点を目指していました。

やはり高校1年から10年に1人の逸材と言われるだけあって、有り余る才能で真似できないライジング打法を身に付けたのでしょうか。
そして優れた指導者にも恵まれたようです。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 15:46 | コメント(0) | トラックバック(0)