2009年04月14日
モンテカルロ1982年
今から27年前、1982年のモンテカルロオープン。
ピークを過ぎた29歳のビラスが優勝しました。
若いNO.1ハードヒッターのレンドルとの決勝、赤土でのストローク戦はビラスのトップスピンが打ち勝ちました。
とても嬉しかったことを憶えています。
この年のビラスは復調し、ランキングが一時2位まで上がるなど好成績を残した年でした。
そしてこの時期、モナコの王女とビラスの間でロマンスがありました。
ピークを過ぎた29歳のビラスが優勝しました。
若いNO.1ハードヒッターのレンドルとの決勝、赤土でのストローク戦はビラスのトップスピンが打ち勝ちました。
とても嬉しかったことを憶えています。
この年のビラスは復調し、ランキングが一時2位まで上がるなど好成績を残した年でした。
そしてこの時期、モナコの王女とビラスの間でロマンスがありました。
2009年04月07日
御殿場で練習
4月4日、朝5時過ぎに家を出て御殿場に行きました。
ほぼ1日打てるということで、朝8時から15時ぐらいまで打つことができました。
久々に鷹さんの球出しでストロークの練習やアプローチ・ボレー・スマッシュといった基本練習ができてよかったです。
スマッシュが恐ろしく打てなくなっていてショック。
打点さえ確保すれば、簡単にいい当たりのスマッシュが打てると思っていたけど大間違い。
やはりたまに基本練習をやらないと私はダメなようです。
この日は鷹さんの弟子のA木さんが同じくフルタイムで練習。
始めて2ヶ月とのことですが、結構熱心に練習に取り組んでいて、テニスにはまってきている様子。
私は引き続きサーブにかなり難があり、なかなか上手くいきません。
トスの乱れは少し直ったけれど、両足固定フォーム変更後のサーブの当たりが悪く、つい以前の右足摺り寄せフォームにしてみました。
しかし体力が落ちてしまっているので左足の踏ん張りが利かず不安定なフォームになってしまいました。
未だに若かった頃の過去のフォームに未練がある今日です。
練習後は鷹さんと最新打法談義を雑誌を見ながらして、本日の練習は終了となりました。
なかなか上手くならない
というかどんどん下手になっているモモビラスです。
ほぼ1日打てるということで、朝8時から15時ぐらいまで打つことができました。
久々に鷹さんの球出しでストロークの練習やアプローチ・ボレー・スマッシュといった基本練習ができてよかったです。
スマッシュが恐ろしく打てなくなっていてショック。
打点さえ確保すれば、簡単にいい当たりのスマッシュが打てると思っていたけど大間違い。
やはりたまに基本練習をやらないと私はダメなようです。
この日は鷹さんの弟子のA木さんが同じくフルタイムで練習。
始めて2ヶ月とのことですが、結構熱心に練習に取り組んでいて、テニスにはまってきている様子。
私は引き続きサーブにかなり難があり、なかなか上手くいきません。
トスの乱れは少し直ったけれど、両足固定フォーム変更後のサーブの当たりが悪く、つい以前の右足摺り寄せフォームにしてみました。
しかし体力が落ちてしまっているので左足の踏ん張りが利かず不安定なフォームになってしまいました。
未だに若かった頃の過去のフォームに未練がある今日です。
練習後は鷹さんと最新打法談義を雑誌を見ながらして、本日の練習は終了となりました。
なかなか上手くならない
というかどんどん下手になっているモモビラスです。
2009年04月03日
16年前の伊達公子選手3
*参考:テニスジャーナル1992年4月号
伊達公子のテニス
以前、昔の雑誌で見つけた伊達公子選手の特集、その内容を簡単に記事にしました。
世界のトップを狙い急上昇する直前の特集でした。
今回はその続編です。
過去の参考記事
①16年前の伊達公子選手
②続16年前の伊達公子選手
1992年4月の時点で伊達選手のランキングは25位、トップ10入りを狙えるところまできています。
伊達選手のかつての指導者のインタビューがありました。
以下キーワードだけ
園田学園 光国彰監督
10年に1人の逸材と感じた。
それはサーブの肩、面使いが抜群、競技に向いている気性こういった点で優れていた。
高校テニスの枠にはめず、のびのびやらせた。
小浦猛志コーチ
テニスをしてきた環境が良かった。
田舎の山の中でテニスをしていたから身体能力が高められた。
次に四の宮クラブという超名門できっちり教わった。
そして園田・・・本当にステディにベースのことだけ皆が教えた、その教える順番がよかった。
この1992年当時は坂井利郎氏がコーチになって、世界の頂点を目指していました。
やはり高校1年から10年に1人の逸材と言われるだけあって、有り余る才能で真似できないライジング打法を身に付けたのでしょうか。
そして優れた指導者にも恵まれたようです。
伊達公子のテニス
以前、昔の雑誌で見つけた伊達公子選手の特集、その内容を簡単に記事にしました。
世界のトップを狙い急上昇する直前の特集でした。
今回はその続編です。
過去の参考記事
①16年前の伊達公子選手
②続16年前の伊達公子選手
1992年4月の時点で伊達選手のランキングは25位、トップ10入りを狙えるところまできています。
伊達選手のかつての指導者のインタビューがありました。
以下キーワードだけ
園田学園 光国彰監督
10年に1人の逸材と感じた。
それはサーブの肩、面使いが抜群、競技に向いている気性こういった点で優れていた。
高校テニスの枠にはめず、のびのびやらせた。
小浦猛志コーチ
テニスをしてきた環境が良かった。
田舎の山の中でテニスをしていたから身体能力が高められた。
次に四の宮クラブという超名門できっちり教わった。
そして園田・・・本当にステディにベースのことだけ皆が教えた、その教える順番がよかった。
この1992年当時は坂井利郎氏がコーチになって、世界の頂点を目指していました。
やはり高校1年から10年に1人の逸材と言われるだけあって、有り余る才能で真似できないライジング打法を身に付けたのでしょうか。
そして優れた指導者にも恵まれたようです。
2009年04月02日
御殿場へ
今度の4日土曜日、久々に御殿場へ行きます。
Dr.鷹が大量のボールを使って打ち込み練習をしてくれる予定。
ついでにラケット情報も教えてもらおうかな。
御殿場までは少し遠いけれども、
電車賃だけで1日近くテニスができるのです。
今回は8:00から打てるということなので、
家を5時過ぎに出発します。
最近、自分のテニスがボロボロに崩れているので、
御殿場での練習で調整できるかな。
Dr.鷹が大量のボールを使って打ち込み練習をしてくれる予定。
ついでにラケット情報も教えてもらおうかな。
御殿場までは少し遠いけれども、
電車賃だけで1日近くテニスができるのです。
今回は8:00から打てるということなので、
家を5時過ぎに出発します。
最近、自分のテニスがボロボロに崩れているので、
御殿場での練習で調整できるかな。