2010年02月28日
サンプラス嫌い
強力なパワーと抜群のテクニックをもった偉大なチャンピオン、ピート・サンプラス。
私はサンプラスが嫌いです。一応偉大と表現しましたが、本当は偉大な選手だと思っていません。
おそらく1996年頃のことだと思います。
トーマス・ムスターが抜群の成績をおさめて、世界ランク1位にいた頃です。ムスターの成績は大半がクレーコートで得られたものでした。
そこでサンプラスはクレーばかりで成績をあげるムスターはずるいというような発言をしました。
さらにムスターはまるでビラスのようだとも。
サンプラスの発言、私はこの男が2つの愚かな発言をしていると思いました。
・人のことを言う前に、クレーコートの大会に出場して一度ぐらい優勝してみろ!
・ビラスはクレーコートでの実績が目立つが、他のサーフェスでも実績をあげている。当時芝の全豪で2連覇し、ウィンブルドンで優勝することが目標だった。
若かりしビラスがボルグとともに王者コナーズを追う頃、ビラスは王者コナーズを倒しウィンブルドンで優勝することが目標だとインタビューで答えています。
ムスターのフォームはビラスに似ていて、時代的にも恐らくビラスの影響を受けているのだと思いますが、テニス界に残した実績、影響はビラスとムスターではあまりにも違い、偉大な選手ビラスとムスターを並べて表現するのは間違いなのです。
その点、クレーでは実績がほとんどないマッケンローは、サンプラスのような批判をしていません。
デビスカップでアルゼンチンのホーム(アンツーカー)での試合も出場し、潔くビラスに打ちのめされています。
サンプラスはどれぐらいの強い思いで全仏に挑戦していたのでしょうか。
ビラスがウィンブルドンにかける思い以上のものだったのでしょうか。
しかしもはや昔の出来事ではあります。
私はサンプラスが嫌いです。一応偉大と表現しましたが、本当は偉大な選手だと思っていません。
おそらく1996年頃のことだと思います。
トーマス・ムスターが抜群の成績をおさめて、世界ランク1位にいた頃です。ムスターの成績は大半がクレーコートで得られたものでした。
そこでサンプラスはクレーばかりで成績をあげるムスターはずるいというような発言をしました。
さらにムスターはまるでビラスのようだとも。
サンプラスの発言、私はこの男が2つの愚かな発言をしていると思いました。
・人のことを言う前に、クレーコートの大会に出場して一度ぐらい優勝してみろ!
・ビラスはクレーコートでの実績が目立つが、他のサーフェスでも実績をあげている。当時芝の全豪で2連覇し、ウィンブルドンで優勝することが目標だった。
若かりしビラスがボルグとともに王者コナーズを追う頃、ビラスは王者コナーズを倒しウィンブルドンで優勝することが目標だとインタビューで答えています。
ムスターのフォームはビラスに似ていて、時代的にも恐らくビラスの影響を受けているのだと思いますが、テニス界に残した実績、影響はビラスとムスターではあまりにも違い、偉大な選手ビラスとムスターを並べて表現するのは間違いなのです。
その点、クレーでは実績がほとんどないマッケンローは、サンプラスのような批判をしていません。
デビスカップでアルゼンチンのホーム(アンツーカー)での試合も出場し、潔くビラスに打ちのめされています。
サンプラスはどれぐらいの強い思いで全仏に挑戦していたのでしょうか。
ビラスがウィンブルドンにかける思い以上のものだったのでしょうか。
しかしもはや昔の出来事ではあります。
2010年02月21日
最高のパフォーマンスとテニスの将来への危惧
1990年のことです。
*参考:テニスジャーナル1990年3月号
この号でリチャード・エバンス(当時有名なテニス評論家)が1980年代を振り返っています。
「最も素晴らしい技術的パフォーマンス」
1985年マスターズでマッケンローがレンドルをストレートで降した試合をあげています。
レンドルの威力があるファーストサーブをライジングで捉え、リターンダッシュ、そしてレンドルの強打を軽くドロップボレーであしらう、マッケンローのプレーは神業だったようです。
広く知られていることですが、マッケンローは眼と手の協調性に優れ、素晴らしいボールタッチであらゆるショットを繰り出す天才でした。パワーテニスとは対極の存在ともいえます。
またこの時代パワーテニスの代表格レンドル、そしてベッカーの登場とさらに拍車がかかるパワーテニスに危惧を抱いている人もいました。
平野三樹氏
当時テニスの技術的専門誌であったテニスジャーナルの技術解説を担っていました。この技術解説を担うことは、日本のテニス界に少なからず影響を与える立場でもあります。
この数年後、テニスジャーナルの技術解説を担うのが、このブログでも登場している松原コーチ(松原雄二氏)です。
さて平野氏ですが、ベッカーに代表される超パワーテニス時代の到来により、テニスの将来を危惧しています。
「現在のラケットの性能は、人がそれを使ってプレイするための極限まで達している。その攻撃力に耐えうる反応の速さ、足の速さ、ラケット扱いの速さなどを持つ人が極端に少なくなってしまており、著しく試合の興味を欠いてしまっている。
この状態が続く限り、相当広いレベルに渡って、テニスというスポーツが、単にスピードによる攻撃力だけを追求した面白味のないゲームだと思われてしまうだろう。そしてその結果、これまでテニスというスポーツの中に存在していた良きものがしだいに失われてしまい、やがて忘れられていきそうな気がする。」
この平野氏の危惧は今日のテニスにも現れていて、かつてはあったテレビ局(キー局)の中継はなくなり、また長くテニスをしてきた人たちでさえ、プロの試合に対して冷ややかに見ていると思われます。
私自身が感じるのは、
男子プロの場合、とても速くなったストロークに対して、体格的に優れた超人が鍛えられたフットワークで追いつき打ち返すことでなんとか最低限の面白さを確保している。
一方女子プロの場合、同じく速くなったストロークに対して、平野氏の危惧通り、ストロークの速さに比べ、足の速さが劣っており、そのため、オープンコートへの先制攻撃でポイントをとるという単調なゲーム展開のため、とても見る気がしない。
いずれにしても観るテニスが劣化しているのではないでしょうか?
*参考:テニスジャーナル1990年3月号
この号でリチャード・エバンス(当時有名なテニス評論家)が1980年代を振り返っています。
「最も素晴らしい技術的パフォーマンス」
1985年マスターズでマッケンローがレンドルをストレートで降した試合をあげています。
レンドルの威力があるファーストサーブをライジングで捉え、リターンダッシュ、そしてレンドルの強打を軽くドロップボレーであしらう、マッケンローのプレーは神業だったようです。
広く知られていることですが、マッケンローは眼と手の協調性に優れ、素晴らしいボールタッチであらゆるショットを繰り出す天才でした。パワーテニスとは対極の存在ともいえます。
またこの時代パワーテニスの代表格レンドル、そしてベッカーの登場とさらに拍車がかかるパワーテニスに危惧を抱いている人もいました。
平野三樹氏
当時テニスの技術的専門誌であったテニスジャーナルの技術解説を担っていました。この技術解説を担うことは、日本のテニス界に少なからず影響を与える立場でもあります。
この数年後、テニスジャーナルの技術解説を担うのが、このブログでも登場している松原コーチ(松原雄二氏)です。
さて平野氏ですが、ベッカーに代表される超パワーテニス時代の到来により、テニスの将来を危惧しています。
「現在のラケットの性能は、人がそれを使ってプレイするための極限まで達している。その攻撃力に耐えうる反応の速さ、足の速さ、ラケット扱いの速さなどを持つ人が極端に少なくなってしまており、著しく試合の興味を欠いてしまっている。
この状態が続く限り、相当広いレベルに渡って、テニスというスポーツが、単にスピードによる攻撃力だけを追求した面白味のないゲームだと思われてしまうだろう。そしてその結果、これまでテニスというスポーツの中に存在していた良きものがしだいに失われてしまい、やがて忘れられていきそうな気がする。」
この平野氏の危惧は今日のテニスにも現れていて、かつてはあったテレビ局(キー局)の中継はなくなり、また長くテニスをしてきた人たちでさえ、プロの試合に対して冷ややかに見ていると思われます。
私自身が感じるのは、
男子プロの場合、とても速くなったストロークに対して、体格的に優れた超人が鍛えられたフットワークで追いつき打ち返すことでなんとか最低限の面白さを確保している。
一方女子プロの場合、同じく速くなったストロークに対して、平野氏の危惧通り、ストロークの速さに比べ、足の速さが劣っており、そのため、オープンコートへの先制攻撃でポイントをとるという単調なゲーム展開のため、とても見る気がしない。
いずれにしても観るテニスが劣化しているのではないでしょうか?
2010年02月14日
20年前の世界ランキング
今から20年前、1990年の世界ランキングを調べて見ました。
男子はイワン・レンドル時代の終盤。1985~1987年、1989年に世界ランキング1位、1985~1990年で7個のGSをとっています。
また主に全英でのベッカーVSエドバーグのライバル対決が1980年代後半に繰り広げられています。
女子はシュテフィ・グラフの時代。ナブラチロワの時代から1987年頃を境にグラフの時代になっていきます。1985~1990年で9個のGSをとっています。女王の座はグラフに譲りますが、ナブラチロワが全英で1982年~1990年まで9年連続決勝進出、6連覇含む7回優勝しています。そしてモニカ・セレシュが台頭してきます。
ATP TOUR RANKINGS 1990/1/29
1.イワン・レンドル
2.ボリス・ベッカー
3.ステファン・エドバーグ
4.ブラッド・ギルバート
5.マイケル・チャン
6.ジョン・マッケンロー
7.アーロン・クリックスタイン
8.アンドレ・アガシ
9.ヤニック・ノア
10.マッツ・ヴィランデル
WITA COMPUTER RANKINGS 1990/2/5
1.ステフィ・グラフ
2.マルチナ・ナブラチロバ
3.ガブリエラ・サバチーニ
4.ジナ・ガリソン
5.アランチャ・サンチェス・ビカリオ
6.モニカ・セレス
7.メリー・ジョー・フェルナンデス
8.マニュエラ・マリーバ
9.コンチタ・マルチネス
10.クリス・エバート
この年の全豪オープンで伊達公子選手がベスト16入りしています。
男子はイワン・レンドル時代の終盤。1985~1987年、1989年に世界ランキング1位、1985~1990年で7個のGSをとっています。
また主に全英でのベッカーVSエドバーグのライバル対決が1980年代後半に繰り広げられています。
女子はシュテフィ・グラフの時代。ナブラチロワの時代から1987年頃を境にグラフの時代になっていきます。1985~1990年で9個のGSをとっています。女王の座はグラフに譲りますが、ナブラチロワが全英で1982年~1990年まで9年連続決勝進出、6連覇含む7回優勝しています。そしてモニカ・セレシュが台頭してきます。
ATP TOUR RANKINGS 1990/1/29
1.イワン・レンドル
2.ボリス・ベッカー
3.ステファン・エドバーグ
4.ブラッド・ギルバート
5.マイケル・チャン
6.ジョン・マッケンロー
7.アーロン・クリックスタイン
8.アンドレ・アガシ
9.ヤニック・ノア
10.マッツ・ヴィランデル
WITA COMPUTER RANKINGS 1990/2/5
1.ステフィ・グラフ
2.マルチナ・ナブラチロバ
3.ガブリエラ・サバチーニ
4.ジナ・ガリソン
5.アランチャ・サンチェス・ビカリオ
6.モニカ・セレス
7.メリー・ジョー・フェルナンデス
8.マニュエラ・マリーバ
9.コンチタ・マルチネス
10.クリス・エバート
この年の全豪オープンで伊達公子選手がベスト16入りしています。