2008年10月31日
戦略的撤退
11月2日(日)にシングルスの草大会出場のつもりでした。
しかし戦わないのも作戦、という判断に決定。
あの大昔の偉大な方の考えです。
そして史上最強のアメリカ軍もそこから学んでいる。
壁打十段先生の言葉「戦略的撤退」をタダどり。
しかし年内12敗(最低3大会出場)の目標は遠くへ・・・
目標も立て直しです。
しかし戦わないのも作戦、という判断に決定。
あの大昔の偉大な方の考えです。
そして史上最強のアメリカ軍もそこから学んでいる。
壁打十段先生の言葉「戦略的撤退」をタダどり。
しかし年内12敗(最低3大会出場)の目標は遠くへ・・・
目標も立て直しです。
2008年10月29日
ボールがバルタン星人
先日のキクリンさんヒマワリさん主催のリアル
私はある領域に達してしまいました
天才はボールが止まって見えるらしい、凄い
その日、私はもっと凄かった
サーブでトスアップすると
1個のはずのボールが100個見える
どれが本物
本物と思って打つと空振り
ボールがバルタン星人
私もバルタン星人なのに
フォッフォッフォ
私はある領域に達してしまいました
天才はボールが止まって見えるらしい、凄い
その日、私はもっと凄かった
サーブでトスアップすると
1個のはずのボールが100個見える
どれが本物
本物と思って打つと空振り
ボールがバルタン星人
私もバルタン星人なのに
フォッフォッフォ
2008年10月28日
必読エースをねらえ!
やはりテニスのバイブルです。
山本鈴美香著:エースをねらえ!
ようやく第1巻を読み終えました。
のりさんを見習って、熟読しました。
この第1巻にテニスの本質が凝縮されています。
若い頃には気がつきませんでした。
最近テニスを始めた方は、
大島コーチのブログを並行してみると、
その深い意味がわかりやすいと思います。
不朽の名作、テニスのバイブル
山本鈴美香著:エースをねらえ!
ようやく第1巻を読み終えました。
のりさんを見習って、熟読しました。
この第1巻にテニスの本質が凝縮されています。
若い頃には気がつきませんでした。
最近テニスを始めた方は、
大島コーチのブログを並行してみると、
その深い意味がわかりやすいと思います。
不朽の名作、テニスのバイブル
2008年10月23日
藤堂さん カッコイイ
せっしゃ、ハンドル名変えるのやめまする。
おいどんはみにくかけどモモビラスでいきもうす。
ピタゴラスもよろしいおすな。
じゃけんあのカッコヨカ「ビラス」にこだわらんと・・・
それから~天才(見習い)なんもかわりまへん。
ビ=Vi でごわす。ぴ=Pi ではあらしゃりません、おおきに
Pilas じゃ全然強い感じしないじゃん
(おもに矢吹ジョーダンさんへのメッセージ)
最近、篤姫の影響でいろんな方言が頭の中をチラチラ
だって薩摩とか長州とか京とか江戸とか土佐・・・
ところでボツになった新ハンドル名は・・・
「藤堂 圭」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無言
私の夢
18歳に戻って、そしてテニスの名門
神奈川県立西高校テニス部のエース
そして練習のとき・・・
女子テニス部の子から
「藤堂先輩」
と呼ばれ振り返る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無言
そんなことが起きたら・・・
ギャー嬉しくて卒倒そのまま安らかに天国へ
「みんな、さようならー、先に行って待ってるよー」
えっ待たなくていい
卒倒に耐えられないので、健康一番にしました。
おいどんはみにくかけどモモビラスでいきもうす。
ピタゴラスもよろしいおすな。
じゃけんあのカッコヨカ「ビラス」にこだわらんと・・・
それから~天才(見習い)なんもかわりまへん。
ビ=Vi でごわす。ぴ=Pi ではあらしゃりません、おおきに
Pilas じゃ全然強い感じしないじゃん
(おもに矢吹ジョーダンさんへのメッセージ)
最近、篤姫の影響でいろんな方言が頭の中をチラチラ
だって薩摩とか長州とか京とか江戸とか土佐・・・
ところでボツになった新ハンドル名は・・・
「藤堂 圭」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無言
私の夢
18歳に戻って、そしてテニスの名門
神奈川県立西高校テニス部のエース
そして練習のとき・・・
女子テニス部の子から
「藤堂先輩」
と呼ばれ振り返る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無言
そんなことが起きたら・・・
ギャー嬉しくて卒倒そのまま安らかに天国へ
「みんな、さようならー、先に行って待ってるよー」
えっ待たなくていい
卒倒に耐えられないので、健康一番にしました。
2008年10月22日
竜崎麗香 別名:お蝶夫人
大事なバイブルがないことに気付きました
そう、山本鈴美香著 「エースを狙え!」
買ってきました。1巻と3巻から8巻、2巻がない
(2002年に発刊のもの)
表紙を見た瞬間、感動が蘇った
著者紹介によると…
1972年暮れから連載、大ヒット。
“全国の少年少女に空前のテニスブームを巻き起こす”
確かにそうでした。間違いなくテニスブームの牽引役。
第1巻登場人物紹介は以下のとおり
岡 ひろみ
テニスの名門・西高の1年生。お蝶夫人にあこがれてテニス部に入部するが失敗ばかり。
宗方 仁(じん)
西高テニス部コーチ。ドジなひろみをなぜか地区大会の選手に抜てきして、テニス部に波紋をまきおこす。
藤堂 貴之
生徒会長にして男子テニス部トッププレイヤー。突然の選手抜てきにゆれるひろみの、心の支えとなる。
竜崎 麗香(お蝶夫人)
西高2年生。テニスの女王。その蝶の舞いにも似た華麗なプレイは、全ての人を魅了する。
尾崎 勇(ゆう)
男子テニス部のキャプテン。藤堂とダブルスを組ませれば天下無敵。お蝶夫人に好意を寄せる。
緑川 蘭子
加賀高校の大物。長身からくりだすサーブは超高校級。地区大会の決勝でひろみと対戦。
千葉 鷹志
生徒会議長と新聞記者を務める。西高の情報を一手ににぎり、テニス部にとっては貴重なニュースソース。
竜崎麗香…このカッコイイ文字を見ると、8頭身の超美人でお城のような家に住む、近寄りがたいお嬢様、でもちょっと近づいてみたい…というイメージが強く染み付いています。
竜崎麗香
モモビラス
やっぱりハンドルネームかえよう
そう、山本鈴美香著 「エースを狙え!」
買ってきました。1巻と3巻から8巻、2巻がない
(2002年に発刊のもの)
表紙を見た瞬間、感動が蘇った
著者紹介によると…
1972年暮れから連載、大ヒット。
“全国の少年少女に空前のテニスブームを巻き起こす”
確かにそうでした。間違いなくテニスブームの牽引役。
第1巻登場人物紹介は以下のとおり
岡 ひろみ
テニスの名門・西高の1年生。お蝶夫人にあこがれてテニス部に入部するが失敗ばかり。
宗方 仁(じん)
西高テニス部コーチ。ドジなひろみをなぜか地区大会の選手に抜てきして、テニス部に波紋をまきおこす。
藤堂 貴之
生徒会長にして男子テニス部トッププレイヤー。突然の選手抜てきにゆれるひろみの、心の支えとなる。
竜崎 麗香(お蝶夫人)
西高2年生。テニスの女王。その蝶の舞いにも似た華麗なプレイは、全ての人を魅了する。
尾崎 勇(ゆう)
男子テニス部のキャプテン。藤堂とダブルスを組ませれば天下無敵。お蝶夫人に好意を寄せる。
緑川 蘭子
加賀高校の大物。長身からくりだすサーブは超高校級。地区大会の決勝でひろみと対戦。
千葉 鷹志
生徒会議長と新聞記者を務める。西高の情報を一手ににぎり、テニス部にとっては貴重なニュースソース。
竜崎麗香…このカッコイイ文字を見ると、8頭身の超美人でお城のような家に住む、近寄りがたいお嬢様、でもちょっと近づいてみたい…というイメージが強く染み付いています。
竜崎麗香
モモビラス
やっぱりハンドルネームかえよう
2008年10月21日
5つ目のグランドスラム
いまさらですがグランドスラムは4大会
全豪、全仏、全英、全米 これは長年の歴史。
昔、全豪がクリスマスシーズンにクーヨンスタジアム(芝)で開催していた頃、多くのトップ選手に無視されていて、日本でグランドスラムをやったらどうか…なんて議論があったみたいです。(昔のスマッシュの記事)
この発想はなかなかいいですよね。
もちろん全豪をなくすのではなく、
美しい秋の日本で、5番目のグランドスラムを開催する。
それには、毎年同じ時期に、素晴らしい高いを開催し、たくさんのファンの熱狂、日本らしい独特の演出。
選手にもファンにも絶賛され続ける実績が必要!
例えば開催期間を3週間にするとか(許されませんかね)
毎日試合ではなく、休養日がある大会なんてあれば。
もちろん賞金額は世界最高の大会。
サーフェスは何がいいかな?砂入り人工芝???
日本の技術で、疲労やケガが少なく、自然なバウンドをする独自新サーフェスとかできたら…
あれ?夢を見てました。
全豪、全仏、全英、全米 これは長年の歴史。
昔、全豪がクリスマスシーズンにクーヨンスタジアム(芝)で開催していた頃、多くのトップ選手に無視されていて、日本でグランドスラムをやったらどうか…なんて議論があったみたいです。(昔のスマッシュの記事)
この発想はなかなかいいですよね。
もちろん全豪をなくすのではなく、
美しい秋の日本で、5番目のグランドスラムを開催する。
それには、毎年同じ時期に、素晴らしい高いを開催し、たくさんのファンの熱狂、日本らしい独特の演出。
選手にもファンにも絶賛され続ける実績が必要!
例えば開催期間を3週間にするとか(許されませんかね)
毎日試合ではなく、休養日がある大会なんてあれば。
もちろん賞金額は世界最高の大会。
サーフェスは何がいいかな?砂入り人工芝???
日本の技術で、疲労やケガが少なく、自然なバウンドをする独自新サーフェスとかできたら…
あれ?夢を見てました。
2008年10月20日
次回大会エントリーに向けて
全敗して早々ですが、2週間後に再度チャレンジしようかなー。
昨日2試合目で対戦した方が、
「100敗するつもりでやっている」
というとても参考になる意見を聞き、見習うことにしました。
なので新たな目標を設定しました。
「年内に12敗する」
すなわち、あと最低3大会は出場して経験するというもの。
これであれば、達成可能な目標であり、いつか「勝つ」ことに必ず近づけるはず。
直近の課題は少なくしました。
①サーブのリズム…精度をあげる
正しくトスが上がったときだけ、振り切っています。
(トスが乱れたときスイングを遅くして入れにいきました)
リズムがよくなれば、トスも正確になり、自然とサーブの威力が増すと考えました。
②攻めの姿勢で改造中のストロークをチャレンジする。
ところで、砂入り人工芝コートのとき、ストロークで結構空振りをします。
へぼなこともありますが、カーペットでは起きないんですよね???
目と手の協調性に問題あり?
昨日2試合目で対戦した方が、
「100敗するつもりでやっている」
というとても参考になる意見を聞き、見習うことにしました。
なので新たな目標を設定しました。
「年内に12敗する」
すなわち、あと最低3大会は出場して経験するというもの。
これであれば、達成可能な目標であり、いつか「勝つ」ことに必ず近づけるはず。
直近の課題は少なくしました。
①サーブのリズム…精度をあげる
正しくトスが上がったときだけ、振り切っています。
(トスが乱れたときスイングを遅くして入れにいきました)
リズムがよくなれば、トスも正確になり、自然とサーブの威力が増すと考えました。
②攻めの姿勢で改造中のストロークをチャレンジする。
ところで、砂入り人工芝コートのとき、ストロークで結構空振りをします。
へぼなこともありますが、カーペットでは起きないんですよね???
目と手の協調性に問題あり?
2008年10月20日
全敗!再デビュー
昨日、19日(日)シングルス大会に出場しました
たぶん15年ぶりの草大会シングルスです
お見事、予選リーグ3戦全敗、さすが天才は違います。
ランク、年齢分けがないので予想してましたけど、
ほぼ全員、私より上級者、腕自慢の集まりが競ってました
出場前に【達成したいこと】と掲げた
①1ポイントでも多くとる
②少しでもいいからIPS(理想的な精神状態)を獲得する
①は実力差を考えれば、まあまあかな?
②はまだまだほど遠いです。
ただし精神面でかなり進歩がありました(自画自賛)
・ミスしても態度に現さず、すぐ次のことを考えた
・とりたいポイントで集中して狙い通りのサービスエースをとった
私にとっては大きな収穫です。
技術面のささやかな収穫 課題は多すぎるので書きまへん
・ダブルフォルトが1試合で1本程度だった(と思う)
・サーブ、フォア・バックのストロークエースを何本かとった
もちろんちょっとのエースで単純に喜ぶことは20年前に卒業しちょります。
(練習通りに、狙ったコース、強さで決めた、ウレピー!)
試合ダイジェスト
1試合目 21歳の礼儀正しくクールな学生さん モテそう、羨ましい
この学生さんは準優勝しました。
クロス、逆クロスのコーナーに凄いトップスピンを打ち込んできます。
かろうじて合わせて返球できても、次で即死
特に素晴らしかったのはフットワーク 大会NO1だったかも…
リズム感があり、広範囲なカバー力をもつ脚力と打つ前のタメ
2試合目 ほぼ同年代?足がよく動く方、後で聞いたらネットプレー好き
この試合は、私にとって一番最悪の展開になりました
サーブからリターンダッシュされ、意表を突かれました
浅い球はバックのベースラインコーナーへアプローチ
とりあえずロブで切り替えそうと思っても
浅くなったり、風で流されてアウト(強めの風がずっと吹いてました)
途中でバックハンドトップスピンのパスにチャレンジ
2本ぐらいきまったかな 態勢に影響なし、終了
相手のツボに見事はまった感じです。
3試合目 鋭角トップスピンクロスを打つ戦術派
準優勝の学生さんと大接戦で惜敗でした。
なので当然私は
鋭く鋭角なフォアのクロスでコート外まで走らされ
振り向けばコート全部がオープンスペース
クロスをケアすると、逆にストレートへ
一歩も動けまへん、かんにんやで…
てな感じです。
でも今までで一番楽しく感じた、メンタル面で多分年齢のせいもあり、20年前よりかなり成長があった
当たり前? そうですね
たぶん15年ぶりの草大会シングルスです
お見事、予選リーグ3戦全敗、さすが天才は違います。
ランク、年齢分けがないので予想してましたけど、
ほぼ全員、私より上級者、腕自慢の集まりが競ってました
出場前に【達成したいこと】と掲げた
①1ポイントでも多くとる
②少しでもいいからIPS(理想的な精神状態)を獲得する
①は実力差を考えれば、まあまあかな?
②はまだまだほど遠いです。
ただし精神面でかなり進歩がありました(自画自賛)
・ミスしても態度に現さず、すぐ次のことを考えた
・とりたいポイントで集中して狙い通りのサービスエースをとった
私にとっては大きな収穫です。
技術面のささやかな収穫 課題は多すぎるので書きまへん
・ダブルフォルトが1試合で1本程度だった(と思う)
・サーブ、フォア・バックのストロークエースを何本かとった
もちろんちょっとのエースで単純に喜ぶことは20年前に卒業しちょります。
(練習通りに、狙ったコース、強さで決めた、ウレピー!)
試合ダイジェスト
1試合目 21歳の礼儀正しくクールな学生さん モテそう、羨ましい
この学生さんは準優勝しました。
クロス、逆クロスのコーナーに凄いトップスピンを打ち込んできます。
かろうじて合わせて返球できても、次で即死
特に素晴らしかったのはフットワーク 大会NO1だったかも…
リズム感があり、広範囲なカバー力をもつ脚力と打つ前のタメ
2試合目 ほぼ同年代?足がよく動く方、後で聞いたらネットプレー好き
この試合は、私にとって一番最悪の展開になりました
サーブからリターンダッシュされ、意表を突かれました
浅い球はバックのベースラインコーナーへアプローチ
とりあえずロブで切り替えそうと思っても
浅くなったり、風で流されてアウト(強めの風がずっと吹いてました)
途中でバックハンドトップスピンのパスにチャレンジ
2本ぐらいきまったかな 態勢に影響なし、終了
相手のツボに見事はまった感じです。
3試合目 鋭角トップスピンクロスを打つ戦術派
準優勝の学生さんと大接戦で惜敗でした。
なので当然私は
鋭く鋭角なフォアのクロスでコート外まで走らされ
振り向けばコート全部がオープンスペース
クロスをケアすると、逆にストレートへ
一歩も動けまへん、かんにんやで…
てな感じです。
でも今までで一番楽しく感じた、メンタル面で多分年齢のせいもあり、20年前よりかなり成長があった
当たり前? そうですね
2008年10月16日
突然エントリー
とうとうやってしまいました
なぜか脳が私に指令を出すんです。
「草大会にでなさい、さもないとご飯をたべさせません!」
3日後、シングルス大会に出場します
年齢分け、レベル分け、一切ありません
どんな雰囲気でどんな人がでるのかさっぱりわかりません
でも天才にはそれぐらいでちょうどいいのかもしれません
【出場する目的】
①勝つ
②草大会の現状を知る
(クルム伊達公子選手と同じぐらいのブランク、レベル違うけど)
③練習すべき課題を浮き彫りにする
サーブが滅茶苦茶なのでダブルスだとパートナーのことなどもあり、心の負担大、シングルスは自分が全てなので、思い切ってエントリーしました。
【達成したいこと】
・1ポイントでも多くとる
・少しでもいいからIPS(理想的な精神状態)を獲得する
まともに復帰して4ヶ月ちょい、技術、体力の課題だらけ。
でも過去の経験をどれだけ生かせるか、
どんな現実が自分に待っているかとても楽しみです。
なぜか脳が私に指令を出すんです。
「草大会にでなさい、さもないとご飯をたべさせません!」
3日後、シングルス大会に出場します
年齢分け、レベル分け、一切ありません
どんな雰囲気でどんな人がでるのかさっぱりわかりません
でも天才にはそれぐらいでちょうどいいのかもしれません
【出場する目的】
①勝つ
②草大会の現状を知る
(クルム伊達公子選手と同じぐらいのブランク、レベル違うけど)
③練習すべき課題を浮き彫りにする
サーブが滅茶苦茶なのでダブルスだとパートナーのことなどもあり、心の負担大、シングルスは自分が全てなので、思い切ってエントリーしました。
【達成したいこと】
・1ポイントでも多くとる
・少しでもいいからIPS(理想的な精神状態)を獲得する
まともに復帰して4ヶ月ちょい、技術、体力の課題だらけ。
でも過去の経験をどれだけ生かせるか、
どんな現実が自分に待っているかとても楽しみです。
2008年10月15日
15年ぶりシングルス
もう相当やっていませんでした、シングルス。
ウォームアップを脱がされたあの15年以上前の大会以来
10月5日御殿場で、壁打十段と4ゲーム先取でやりました
コートはモモビラスの苦手なマテフレックス
20代に出たマテフレックスコートでの大会(1セットマッチ)で20分たらずの敗北
スライス、フラットばっかり打つ相手の打球に全くタイミング合わず
あっという間に終了!やあーいい思い出です
さて壁打十段との試合は二人とも
サービスゲームは2ブレーク、ともに1ゲームキープというな展開。
3-3でモモビラスサーブ…最悪です
やっぱりブレークされて終了
二人とも中身は違うけどサーブに課題が
壁打十段は、理想の弾道を追い求めて、そのためダボ!
モモビラスはトスがどっかにいっちゃうのを無理やり打ってダボ!
いずれにしても勝者=壁打十段なので…
これからは壁打十段ではなく壁打十段先生 と呼ぶことにしました。
だから早く再戦しないといけないモモビラスです
日本国で通用する、避けられない年齢の問題が効かないから
ウォームアップを脱がされたあの15年以上前の大会以来
10月5日御殿場で、壁打十段と4ゲーム先取でやりました
コートはモモビラスの苦手なマテフレックス
20代に出たマテフレックスコートでの大会(1セットマッチ)で20分たらずの敗北
スライス、フラットばっかり打つ相手の打球に全くタイミング合わず
あっという間に終了!やあーいい思い出です
さて壁打十段との試合は二人とも
サービスゲームは2ブレーク、ともに1ゲームキープというな展開。
3-3でモモビラスサーブ…最悪です
やっぱりブレークされて終了
二人とも中身は違うけどサーブに課題が
壁打十段は、理想の弾道を追い求めて、そのためダボ!
モモビラスはトスがどっかにいっちゃうのを無理やり打ってダボ!
いずれにしても勝者=壁打十段なので…
これからは壁打十段ではなく壁打十段先生 と呼ぶことにしました。
だから早く再戦しないといけないモモビラスです
日本国で通用する、避けられない年齢の問題が効かないから
2008年10月14日
VSボロテリー5
また入力してしまいました
「VSボロテリー」と… 家族はもはや無視しています、そしてあなたも…
でもやっぱり天才の血が騒ぐのです
「塩」の話にするつもりでしたが変更
ボロテリーさえ衝撃で失神するテニスの革新
Dr.鷹とモモビラスの偉大なるチャレンジプロジェクト
動かないのに勝っちゃうよ!ごめんね!
10月5日御殿場で第1回極秘実験を行いました。
メンバー4名
PJメンバー Dr.鷹 モモビラス
Dr.鷹のパートナー S木さん
実験台 壁打十段先生(先生となった理由は別の日記にて)
早くもDr.鷹がダブルスの新戦術を発明しました
そしてモモビラスが勝手にその新戦術を名付けました。
戦術名 Vertical Exchange バーティカル・エクスチェンジ
Googleの翻訳ツールでテキトーにつけたんで…英語的に変?
Vertical Exchange はあるゲーム展開のとき実行します。
【その効果】
対戦相手はあるコースしか狙えません
そのコースへ強打してもエースをとるのは無理
ネットの高さを利用(サイドほど高いですよねテニスは)
弱点はあります、当然のことですが。
ただし、その弱点を突くにはかなりの技術がいります
ところで今回はじめてご一緒したS木さん。
人生の先輩であり、そして私にとって礼節のお手本のような方。
そして若輩ものの瑣末なアドバイスを受け入れ実行する柔軟さ。
自分も見習わなければいけないと感じました。
第2回実験が楽しみです…フォッフォッフォ
「VSボロテリー」と… 家族はもはや無視しています、そしてあなたも…
でもやっぱり天才の血が騒ぐのです
「塩」の話にするつもりでしたが変更
ボロテリーさえ衝撃で失神するテニスの革新
Dr.鷹とモモビラスの偉大なるチャレンジプロジェクト
動かないのに勝っちゃうよ!ごめんね!
10月5日御殿場で第1回極秘実験を行いました。
メンバー4名
PJメンバー Dr.鷹 モモビラス
Dr.鷹のパートナー S木さん
実験台 壁打十段先生(先生となった理由は別の日記にて)
早くもDr.鷹がダブルスの新戦術を発明しました
そしてモモビラスが勝手にその新戦術を名付けました。
戦術名 Vertical Exchange バーティカル・エクスチェンジ
Googleの翻訳ツールでテキトーにつけたんで…英語的に変?
Vertical Exchange はあるゲーム展開のとき実行します。
【その効果】
対戦相手はあるコースしか狙えません
そのコースへ強打してもエースをとるのは無理
ネットの高さを利用(サイドほど高いですよねテニスは)
弱点はあります、当然のことですが。
ただし、その弱点を突くにはかなりの技術がいります
ところで今回はじめてご一緒したS木さん。
人生の先輩であり、そして私にとって礼節のお手本のような方。
そして若輩ものの瑣末なアドバイスを受け入れ実行する柔軟さ。
自分も見習わなければいけないと感じました。
第2回実験が楽しみです…フォッフォッフォ
2008年10月13日
サーブ速度1979年
1979年セイコーワールドスーパーテニスにて、スピードガンによるサービス速度測定が試合中に行われました。
*参考:スマッシュ1980年1月号
スピードガンの測定は飛球方向とガンの角度が一致したときに正確な速度測定ができるため、かなり苦労した様子。
ファーストサーブ
1位 ヤニック・ノア 173km/h
2位 ビクター・アマヤ 169km/h
3位 ロスコ・タナー 168km/h
4位 ギレルモ・ビラス 162km/h
5位 テリー・ムーア 161km/h
6位 ビヨン・ボルグ 160km/h
他には・・・
ジミー・コナーズ 141km/h
福井烈 154km/h
そうです、現代の女子選手よりスピードが遅い!
ただし、この時代はあの反発力のないウッドラケットの時代。
重い、スポット小、振動大、剛性不足、現代より劣るストリングス
逆転の発想!
ウィリアムズ姉妹がこの当時のウッドラケットでサーブを打ったら何キロでるか?
私の予想 140km/hがせいぜい。
ヤニック・ノアは現代でも通用する、極めて高い身体能力の選手でした。それを基準に20%ダウンが女子選手の最高速度と推測しました。
*参考:スマッシュ1980年1月号
スピードガンの測定は飛球方向とガンの角度が一致したときに正確な速度測定ができるため、かなり苦労した様子。
ファーストサーブ
1位 ヤニック・ノア 173km/h
2位 ビクター・アマヤ 169km/h
3位 ロスコ・タナー 168km/h
4位 ギレルモ・ビラス 162km/h
5位 テリー・ムーア 161km/h
6位 ビヨン・ボルグ 160km/h
他には・・・
ジミー・コナーズ 141km/h
福井烈 154km/h
そうです、現代の女子選手よりスピードが遅い!
ただし、この時代はあの反発力のないウッドラケットの時代。
重い、スポット小、振動大、剛性不足、現代より劣るストリングス
逆転の発想!
ウィリアムズ姉妹がこの当時のウッドラケットでサーブを打ったら何キロでるか?
私の予想 140km/hがせいぜい。
ヤニック・ノアは現代でも通用する、極めて高い身体能力の選手でした。それを基準に20%ダウンが女子選手の最高速度と推測しました。
2008年10月12日
最も有名な試合 1980,81年全英男子シングルス決勝3
*参考:スマッシュ1981年9月号
1981年ウィンブルドン男子シングルス決勝
ビョン・ボルグ対ジョン・マッケンロー
前年、ボルグ対マッケンローがフルセットで、しかもマッチポイントとセットポイントが交互に繰り返される大激戦の後、トップスピンストローカーのボルグが5連覇を遂げました。
翌1981年も同じくボルグ対マッケンローの決勝となります。多くの人々が1年前の激戦を思い出し、そして特別な思いでこの決勝を観戦したと思います。そしてこの年も3時間22分の大激戦となりました。
マッケンローは、判定に文句をつける、暴言をはく、ラケットを投げるなど、その試合態度の悪さから「悪童」と名付けられていて、紳士なボルグと対照的でした。しかし、マッケンローはこのボルグとの試合に限っては、悪童ぶりを発揮せず、別人のような態度で試合に集中していました。
第1シード ボルグ
第2シード マッケンロー
第3シード コナーズ
第4シード レンドル
新たな時代への変化の兆しが見えています。
準決勝 ボルグ対コナーズ 0-6 4-6 6-3 6-0 6-4
準決勝 マッケンロー対フローリー スコア不明
フローリー戦でのマッケンローは暴言、悪態をつき、その蛮行から、当時チャールズ皇太子の婚約者ダイアナ・スペンサー嬢(後のダイアナ妃)は観客席から出たようです。
決勝戦
第1セットはボルグ6-4 観客はボルグを応援します。
第2セットはマッケンロー7-6(7-1) マッケンローのサーブ&ボレーが冴えます。
第3セットはマッケンロー7-6(不明) 5-4ボルグリードをデュースゲームの攻防で凌ぐ。
第4セット マッケンロー6-4 ボルグが打つサーブに威力が落ちたようです。
マッケンロー 4-6 7-6 7-6 6-4 ボルグ
勝者マッケンローはとことんウィンブルドンから嫌われたようです。
ウィンブルドン104年の歴史で最も歓迎されないチャンピオンと記載されています。
・大会終了後のサボイホテルでのパーティー、そして優勝者スピーチ 欠席
・バッドマナーへのペナルティー1万ドル
・TVアナウンサー「最も憎まれた米国の若者が勝つとは歴史の最大の皮肉だ」
・オールイングランドクラブへの名誉会員入会凍結
そんなマッケンローですが、フレミングと組んでダブルスも優勝、単複制覇、偉大な選手です。
1981年ウィンブルドン男子シングルス決勝
ビョン・ボルグ対ジョン・マッケンロー
前年、ボルグ対マッケンローがフルセットで、しかもマッチポイントとセットポイントが交互に繰り返される大激戦の後、トップスピンストローカーのボルグが5連覇を遂げました。
翌1981年も同じくボルグ対マッケンローの決勝となります。多くの人々が1年前の激戦を思い出し、そして特別な思いでこの決勝を観戦したと思います。そしてこの年も3時間22分の大激戦となりました。
マッケンローは、判定に文句をつける、暴言をはく、ラケットを投げるなど、その試合態度の悪さから「悪童」と名付けられていて、紳士なボルグと対照的でした。しかし、マッケンローはこのボルグとの試合に限っては、悪童ぶりを発揮せず、別人のような態度で試合に集中していました。
第1シード ボルグ
第2シード マッケンロー
第3シード コナーズ
第4シード レンドル
新たな時代への変化の兆しが見えています。
準決勝 ボルグ対コナーズ 0-6 4-6 6-3 6-0 6-4
準決勝 マッケンロー対フローリー スコア不明
フローリー戦でのマッケンローは暴言、悪態をつき、その蛮行から、当時チャールズ皇太子の婚約者ダイアナ・スペンサー嬢(後のダイアナ妃)は観客席から出たようです。
決勝戦
第1セットはボルグ6-4 観客はボルグを応援します。
第2セットはマッケンロー7-6(7-1) マッケンローのサーブ&ボレーが冴えます。
第3セットはマッケンロー7-6(不明) 5-4ボルグリードをデュースゲームの攻防で凌ぐ。
第4セット マッケンロー6-4 ボルグが打つサーブに威力が落ちたようです。
マッケンロー 4-6 7-6 7-6 6-4 ボルグ
勝者マッケンローはとことんウィンブルドンから嫌われたようです。
ウィンブルドン104年の歴史で最も歓迎されないチャンピオンと記載されています。
・大会終了後のサボイホテルでのパーティー、そして優勝者スピーチ 欠席
・バッドマナーへのペナルティー1万ドル
・TVアナウンサー「最も憎まれた米国の若者が勝つとは歴史の最大の皮肉だ」
・オールイングランドクラブへの名誉会員入会凍結
そんなマッケンローですが、フレミングと組んでダブルスも優勝、単複制覇、偉大な選手です。
2008年10月11日
最も有名な試合 1980,81年全英男子シングルス決勝2
*参考:スマッシュ1980年9月号
1980年ウィンブルドン男子シングルス決勝
ビョン・ボルグ対ジョン・マッケンロー
この試合は、優雅でどちらかというと軟弱なスポーツと見られがちなテニスを、「ネットを挟んだボールの格闘技」であり、強靭なアスリートによる激しく厳しいスポーツという印象を日本人に与える試合でもありました。
ボルグは強靭な体力、脚力、そして強いトップスピンフォアハンド、クロスへ鋭角に抜くことができる両手打ちトップスピンを武器にしており、また、速いサーフェスでは強いフラットサーブを打ち込み、ネットにも出る選手でした。そして1980年はウィンブルドン5連覇がかかっていた年です。
マッケンローは、左利きからのサイドへ速く鋭く切れるスライスサーブ、その逆を攻めるフラットな、あるいは少し順回転のかかったサーブで、相手をコートの端へ追い出し、かつ柔軟なネットプレーは相手の予測を外す、特異なボレーをします。そしてストロークもタッチの良さを活かした、硬軟自在なスタイルで、真似することができない独自のスタイルでした。
第1シード ボルグ
第2シード マッケンロー
第3シード コナーズ
第4シード ゲルライテス
準決勝 マッケンロー対コナーズ 3時間5分の熱戦 6-3 3-6 6-3 6-4
準決勝 ボルグ対ゴットフリード 6-2 4-6 6-2 6-0
決勝は3時間53分の大熱戦、ウィンブルドン史上に残る試合と世界中に伝えられました。
第1セットはマッケンローのサーブ&ボレーが冴え6-1
第2セットはリターンエースをきっかけにボルグがサービスブレーク7-5
第3セットはボルグ6-3
そして有名な第4セットになります。
ボルグ5-4とリードしてボルグのマッチポイント、しかしマッケンローは凌ぎます。
そしてタイブレークに突入、マッチポイントとセットポイントが交錯する激戦。
マッケンローは7度のマッチポイントを逃れ、タイブレーク18-16で2セットオール。
第4セットの激戦が最終セットでも繰り広げられ、
そして最後にボルグの両手打ちバックハンドトップスピンのクロスパス。
ボルグ 1-6 7-5 6-3 6-7(16-18) 8-6 マッケンロー
最後のショットに王者ボルグの証が記されている、
たくさんの人々がテレビ観戦した、そんな1980年の大激戦でした。
1980年ウィンブルドン男子シングルス決勝
ビョン・ボルグ対ジョン・マッケンロー
この試合は、優雅でどちらかというと軟弱なスポーツと見られがちなテニスを、「ネットを挟んだボールの格闘技」であり、強靭なアスリートによる激しく厳しいスポーツという印象を日本人に与える試合でもありました。
ボルグは強靭な体力、脚力、そして強いトップスピンフォアハンド、クロスへ鋭角に抜くことができる両手打ちトップスピンを武器にしており、また、速いサーフェスでは強いフラットサーブを打ち込み、ネットにも出る選手でした。そして1980年はウィンブルドン5連覇がかかっていた年です。
マッケンローは、左利きからのサイドへ速く鋭く切れるスライスサーブ、その逆を攻めるフラットな、あるいは少し順回転のかかったサーブで、相手をコートの端へ追い出し、かつ柔軟なネットプレーは相手の予測を外す、特異なボレーをします。そしてストロークもタッチの良さを活かした、硬軟自在なスタイルで、真似することができない独自のスタイルでした。
第1シード ボルグ
第2シード マッケンロー
第3シード コナーズ
第4シード ゲルライテス
準決勝 マッケンロー対コナーズ 3時間5分の熱戦 6-3 3-6 6-3 6-4
準決勝 ボルグ対ゴットフリード 6-2 4-6 6-2 6-0
決勝は3時間53分の大熱戦、ウィンブルドン史上に残る試合と世界中に伝えられました。
第1セットはマッケンローのサーブ&ボレーが冴え6-1
第2セットはリターンエースをきっかけにボルグがサービスブレーク7-5
第3セットはボルグ6-3
そして有名な第4セットになります。
ボルグ5-4とリードしてボルグのマッチポイント、しかしマッケンローは凌ぎます。
そしてタイブレークに突入、マッチポイントとセットポイントが交錯する激戦。
マッケンローは7度のマッチポイントを逃れ、タイブレーク18-16で2セットオール。
第4セットの激戦が最終セットでも繰り広げられ、
そして最後にボルグの両手打ちバックハンドトップスピンのクロスパス。
ボルグ 1-6 7-5 6-3 6-7(16-18) 8-6 マッケンロー
最後のショットに王者ボルグの証が記されている、
たくさんの人々がテレビ観戦した、そんな1980年の大激戦でした。
2008年10月02日
最も有名な試合 1980,81年全英男子シングルス決勝
1970年代後半から始まった世界的テニスブーム。
リターンの名手で速いテンポのゲーム展開をするジミー・コナーズ、
トップスピン打法の代名詞、強靭な肉体、強い精神のビョン・ボルグ、
そして1977年17歳で出現したサーブ&ボレーかつ戦術家、ジョン・マッケンロー。
それぞれ強い個性を持つ3人を主役に、グランドスラムタイトルが争われます。
女子は美しく優雅な女王クリス・エバート・・・まさに女子テニスの見本。
そしてライバルであり、史上最強の女子選手となる選手、
パワー、テクニック、戦術に長けたオールラウンドなナブラチロワ。
彼らスーパースターの魅力的なテニスに魅せられ、
ラケットを持ち歩く学生は非常に多く、街にはテニスブランドが溢れていました。
そんな時代にテニスブームを決定的にした最も有名な試合があります。
1980年ウィンブルドン男子シングルス決勝
ビョン・ボルグ対ジョン・マッケンロー
1981年ウィンブルドン男子シングルス決勝
ビヨン・ボルグ対ジョン・マッケンロー
この2年連続で実現した二人の激戦、多くの人がテレビで深夜まで釘付けとなり、
そして翌日の朝、人々の挨拶で交わされる話題は、二人の激戦でした。
この当時、3人の状況は、1974年以降世界NO.1を維持してきたコナーズが、
ボルグに勝てなくなり、NO.1の座はボルグに明け渡しています。
1979年全米初優勝でマッケンローは名目ともにトップ3入り、
やがてコナーズを追い落とす勢いがあり、次のターゲットはボルグでした。
ただし、コナーズとマッケンローの戦いは長期に渡り繰り広げられます。
左利きでリターン名手コナーズは、同じく左利きマッケンローのスライスサーブを
あまり苦にせず、経験や試合運びで上回ります。
この戦いはボルグがバーンアウトした後のテニス界の目玉のひとつでした。
次回日記は1980年決勝についてです。
是非見に来てください。
リターンの名手で速いテンポのゲーム展開をするジミー・コナーズ、
トップスピン打法の代名詞、強靭な肉体、強い精神のビョン・ボルグ、
そして1977年17歳で出現したサーブ&ボレーかつ戦術家、ジョン・マッケンロー。
それぞれ強い個性を持つ3人を主役に、グランドスラムタイトルが争われます。
女子は美しく優雅な女王クリス・エバート・・・まさに女子テニスの見本。
そしてライバルであり、史上最強の女子選手となる選手、
パワー、テクニック、戦術に長けたオールラウンドなナブラチロワ。
彼らスーパースターの魅力的なテニスに魅せられ、
ラケットを持ち歩く学生は非常に多く、街にはテニスブランドが溢れていました。
そんな時代にテニスブームを決定的にした最も有名な試合があります。
1980年ウィンブルドン男子シングルス決勝
ビョン・ボルグ対ジョン・マッケンロー
1981年ウィンブルドン男子シングルス決勝
ビヨン・ボルグ対ジョン・マッケンロー
この2年連続で実現した二人の激戦、多くの人がテレビで深夜まで釘付けとなり、
そして翌日の朝、人々の挨拶で交わされる話題は、二人の激戦でした。
この当時、3人の状況は、1974年以降世界NO.1を維持してきたコナーズが、
ボルグに勝てなくなり、NO.1の座はボルグに明け渡しています。
1979年全米初優勝でマッケンローは名目ともにトップ3入り、
やがてコナーズを追い落とす勢いがあり、次のターゲットはボルグでした。
ただし、コナーズとマッケンローの戦いは長期に渡り繰り広げられます。
左利きでリターン名手コナーズは、同じく左利きマッケンローのスライスサーブを
あまり苦にせず、経験や試合運びで上回ります。
この戦いはボルグがバーンアウトした後のテニス界の目玉のひとつでした。
次回日記は1980年決勝についてです。
是非見に来てください。