tennis365.net テニス365ブログ 新着記事を読む ]    [ テニス365 ホームショッピングニュースログイン ]

テニス浦島太郎 8年ぶりにテニスをまたはじめた40代のおじさんです。最近のテニスの変貌ぶりに驚きつつも、いかに上達できるか、日記にしています。

<<  2008年 8月  >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最近のコメント
Have you r…
Jack 10/28 13:07
番中の定番!モンクレ…
モンクレール 10/27 09:35
Will I be …
Tony 10/27 08:26
Could I ha…
Sean 10/27 08:26
A few mont…
Genesis 10/23 23:50
最近の記事
プロスタッフ95 使…
11/22 11:36
イスラエル戦初日 観…
09/15 11:00
がんばれフェデラー!
07/08 21:56
ひじ痛、手首痛
07/06 10:27
先週は冴えなかった
07/03 08:56

1995年全米とシュウゾウ・マツオカルール

1995年の全米オープンは、あの不幸な事件から初めてグランドスラムに復帰したモニカセレシュと王者グラフの戦いになりました。
復帰後のセレシュは桁外れの強さを見せ、この全米でも決勝へ進出、グラフとの激しい戦いは、フルセットでグラフの勝利になりました。グラフには父親が起こした事件による精神的影響、セレシュには復帰してまもないことで万全ではないコンディション、お互いがベストではない決勝でした。

この大会、もうひとつの重要な出来事があります。世界ランキング63位の松岡修造選手が出場、1回戦の相手はランク26位の強豪ペトロ・コルダ。試合は稀に見る大激戦になります。
コルダ7-6、6-7、6-7、6-5松岡となったところで両足の激しい痙攣で松岡選手はコートに倒れ、動けなくなりました。当時のルールは痙攣で倒れた選手を3分間は手当てをすることができず、3分後自力で立ち上がり試合を行わなければならなかったのです。3分後松岡選手は棄権します。
しかしこの残念な出来事は無駄にならず、これをきっかけに痙攣もインジャリー・タイムとして認められ、治療を受けることが可能になったのです。(シュウゾウ・マツオカルール)
この年ウィンブルドンベスト8に入り、全米でも強豪との激戦、松岡選手はケガで失ったチャンスがもう少し少なければ、もっと大きな実績を上げていたのではないかと思います。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 22:02 | コメント(2) | トラックバック(0)