2008年08月29日
アガシのボールタッチ
以前の日記「アガシ もう一人の完璧な選手」にて松岡修造さんがボールタッチの優れた選手としてアガシの名前を挙げていたことを書きました。
アガシは強力なハードヒットをするストローカーでしたが、よく見ていると、引っ叩いたり、擦ったり、緩かったり、止めたり、とにかく打球の扱いが自由自在でした。
先日読んだ本、サーブ&ボレーはなぜ消えたか 著:武田薫氏
これによると、元々アガシはサーブ&ボレーのプレースタイルであり、強いアガシにアメリカ西海岸で戦う相手がいなくなったため、フロリダのニック・ボロテリーの元へ移ったようです。ここでアガシは両手打ちのストローカーに変えられたとのこと。アガシの父親は、サーブ&ボレースタイルであればもっと強かった、と述懐しているようです。
アガシのボールタッチは、若い頃の経験の名残なのでしょうか。
****
武田薫氏は 芝のコートでは、サーブで低く威力のある弾道により相手を押し込めば有利だが、ボレーをさせないようにレシーブすれば、サーバーはネットにでてきているため、対応角度が一気に狭くなり、立場が一転してしまう というような意見を述べています。
****
私は少し違う見方で
・・・昨今のトッププレイヤーは、ストローク技術とそれを実現するフットワーク技術、この2つが昔に比べ著しく向上したため、サービスダッシュしたプレイヤーに、甘いリターンが返る確率が減少している。それでもリターンエースを狙い続けることは困難で、ネットダッシュした選手には、今でも大きなチャンスが待っている。変幻自在で高い確率のサーブを打ち、そしてボレー技術のブレークスルーをした選手が出現したとき、サーブ&ボレーの復活がおきる、このまま消えるわけではない・・・
という考え方です。
アガシは強力なハードヒットをするストローカーでしたが、よく見ていると、引っ叩いたり、擦ったり、緩かったり、止めたり、とにかく打球の扱いが自由自在でした。
先日読んだ本、サーブ&ボレーはなぜ消えたか 著:武田薫氏
これによると、元々アガシはサーブ&ボレーのプレースタイルであり、強いアガシにアメリカ西海岸で戦う相手がいなくなったため、フロリダのニック・ボロテリーの元へ移ったようです。ここでアガシは両手打ちのストローカーに変えられたとのこと。アガシの父親は、サーブ&ボレースタイルであればもっと強かった、と述懐しているようです。
アガシのボールタッチは、若い頃の経験の名残なのでしょうか。
****
武田薫氏は 芝のコートでは、サーブで低く威力のある弾道により相手を押し込めば有利だが、ボレーをさせないようにレシーブすれば、サーバーはネットにでてきているため、対応角度が一気に狭くなり、立場が一転してしまう というような意見を述べています。
****
私は少し違う見方で
・・・昨今のトッププレイヤーは、ストローク技術とそれを実現するフットワーク技術、この2つが昔に比べ著しく向上したため、サービスダッシュしたプレイヤーに、甘いリターンが返る確率が減少している。それでもリターンエースを狙い続けることは困難で、ネットダッシュした選手には、今でも大きなチャンスが待っている。変幻自在で高い確率のサーブを打ち、そしてボレー技術のブレークスルーをした選手が出現したとき、サーブ&ボレーの復活がおきる、このまま消えるわけではない・・・
という考え方です。
2008年08月29日
松岡修造デビュー 日本テニス歴史的瞬間
何年のことか忘れました。たぶん1986~1987年の間の出来事です。
その年のジャパンオープンは、アメリカへ武者修行に出た松岡修造さんが、ついに日本に戻りその姿を見せる注目の大会でした。
私はその松岡修造さんの試合を見るために有明へ行きました。私が見たのは1回戦、相手は有名選手アンダース・ヤリードでした。
ヤリードはシングルストップ10の実績があり、その頃もたぶんトップ20クラス、全豪ダブルス1回、全仏ダブルス2回、全英ダブルス2回、全米ダブルス2回、計7つのグランドスラムダブルスタイトルを持つ名選手です。エドバーグ、ビランデル、サンドストロームらとスウェーデン黄金時代を築いたメンバー。
スタンドのない1回戦のコート、フェンス越しに間近で試合を見ることができました。フェンスの周りには人が何重にも取り囲み、ウォーミングアップから異様な雰囲気でした。
軽いストローク、ネットプレーのアップが終わり、サーブ練習が始まったとき、そこにいた観客達は、日本男子テニスの夜明けを見たのです。
松岡修造さんの打ったサーブは"ドカーン”という轟音とともに、サービスコートを跳ね、次の瞬間にはバックフェンスのとても高い位置に“ガシャーン”と激しくぶつかります。
コートは「ウォーー!」という驚嘆の唸り声と、歓喜する日本人ファン達のざわめきに包まれ、興奮状態になりました。
日本人がとうとう世界トップクラスのサーブを放ったのです。
試合は、強烈なサーブと強烈なトップスピンストロークを打つ松岡修造さんに対し、とても俊敏に動くヤリードの安定したストロークにより拮抗した展開でした。日本人を相手に必死に試合をする世界トップクラスの選手を初めてみました。
ただ、押し切るには何かが足りなく、巧妙に守り、展開を変えるヤリードに要所を締められ、緊迫した打ち合いではありましたが、確かヤリードがストレート勝ちしています。
しかし私は満足でした。きっと近い将来、輝かしい出来事が起きることを予感しました。
その年のジャパンオープンは、アメリカへ武者修行に出た松岡修造さんが、ついに日本に戻りその姿を見せる注目の大会でした。
私はその松岡修造さんの試合を見るために有明へ行きました。私が見たのは1回戦、相手は有名選手アンダース・ヤリードでした。
ヤリードはシングルストップ10の実績があり、その頃もたぶんトップ20クラス、全豪ダブルス1回、全仏ダブルス2回、全英ダブルス2回、全米ダブルス2回、計7つのグランドスラムダブルスタイトルを持つ名選手です。エドバーグ、ビランデル、サンドストロームらとスウェーデン黄金時代を築いたメンバー。
スタンドのない1回戦のコート、フェンス越しに間近で試合を見ることができました。フェンスの周りには人が何重にも取り囲み、ウォーミングアップから異様な雰囲気でした。
軽いストローク、ネットプレーのアップが終わり、サーブ練習が始まったとき、そこにいた観客達は、日本男子テニスの夜明けを見たのです。
松岡修造さんの打ったサーブは"ドカーン”という轟音とともに、サービスコートを跳ね、次の瞬間にはバックフェンスのとても高い位置に“ガシャーン”と激しくぶつかります。
コートは「ウォーー!」という驚嘆の唸り声と、歓喜する日本人ファン達のざわめきに包まれ、興奮状態になりました。
日本人がとうとう世界トップクラスのサーブを放ったのです。
試合は、強烈なサーブと強烈なトップスピンストロークを打つ松岡修造さんに対し、とても俊敏に動くヤリードの安定したストロークにより拮抗した展開でした。日本人を相手に必死に試合をする世界トップクラスの選手を初めてみました。
ただ、押し切るには何かが足りなく、巧妙に守り、展開を変えるヤリードに要所を締められ、緊迫した打ち合いではありましたが、確かヤリードがストレート勝ちしています。
しかし私は満足でした。きっと近い将来、輝かしい出来事が起きることを予感しました。