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テニス浦島太郎 8年ぶりにテニスをまたはじめた40代のおじさんです。最近のテニスの変貌ぶりに驚きつつも、いかに上達できるか、日記にしています。

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440グラムのラケットを使う人

名選手、ジミー・コナーズが使っていたラケットをご存じでしょうか。オールドファンならすぐ思い浮かぶあのラケット、ウィルソンT-2000です。

参考:テニスジャーナル1992年7月号
「ジミーコナーズによるフラット・テニスの戦略と技術」

この記事の中に、コナーズの使用ラケットについての記載があります。
この頃コナーズはすでに39歳、手首の故障から回復し、936位まで落ちたランキングを38位まで引き上げてきています。

ラケットの記載ですが、
全盛期、とても小さな面のT-2000(昔は皆レギュラーサイズでした)、ヘッドが小さいため重りをつけ調整をしたことが書かれています。重さはなんと440グラム!

39歳という年齢、手首の故障、「若い連中のスピード」これらに対応するため、エステューサ社と共同作業でラケットを開発し始めたとのこと。
「若い連中」のスピード、パワーに対抗するため、スイートスポットを大きくし、手首の負担を下げるため衝撃吸収こだわった結果、320グラム、95平方インチのラケットになったようです。

それにしても440グラムの凄く小さなスポットのラケットで、よく打ってましたね、神業だと思います。
テニスを始めたころT-2000を借りて打ったことがありますが、自分にはとても無理だと感じたことを憶えています。
ラケット | 投稿者 モモビラス 21:25 | コメント(3)| トラックバック(0)

マーガレット・スミス・コートの深い悩み

1977年のテニスシーンを調べていたところ見つけた記事です。

参考:スマッシュ1977年2月号
「信心深いコート夫人、著書出版で頭をかかえる」

コート夫人は年間グランドスラムを達成した大選手。
そのコート夫人が自分の書いた本で悩み、出版したその本の全てを焼き払ってしまいたい、と深く悩んでいることが書かれています。

その理由は、不幸にも3番目の子供を流産して以来、信心深くなったことにあるようで、「神のお告げ」に従って行動することになったのが背景だそうです。
それほどひどいことを書いていないようですが、他の選手の論評をしたことを深く後悔している様子。

何となく沢松奈生子さんとモニカ・セレシュの出来事と重なります。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 12:31 | コメント(0)| トラックバック(0)

1977年のテニスシーン

1977年のテニスシーン  モモビラス13歳 

参考:スマッシュ1977年1月号~12月号

この年は何と言ってもギレルモ・ビラスの年
全仏、全米含め17大会優勝、クレーコート53連勝、デ杯でアメリカ撃破、全豪準優勝。ただしウィンブルドンは3回戦敗退。
この頃、レーバーの再来と言われていたビラスですが、やはりレーバーと大きく違ったのはウィンブルドンの実績。ローボレーの処理が下手であるという指摘が出ていました。
この年をリアルタイムで見ることができなかったのが残念です。

独断トピックス
・ボルグ 愛のスマッシュ、マリアナ(ルーマニアのテニス選手)と結婚
・米沢そのえ 全日本室内オープン優勝 軟式から硬式へ転向3年目の快挙
・全豪 R・タナー優勝
・アメリカのニュースター B・ゴットフリード、世界NO.1を目指すポジションへ
・アメリカでは4番目に人気があるテニス(野球、フットボール、バスケットボール)テニスブームの到来・・・ジミー・コナーズ談
・ビラス 全仏優勝、生涯2位の汚名返上
・ウィンブルドン ボルグ2連覇
・270位のマッケンロー、予選からウィンブルドンBest4の快挙
・V・ウェード 遅すぎた栄冠(31歳でウィンブルドン初優勝)
・ビラス 全米優勝 クレーの王者という称号
・勝ちまくるビラス クレーコート53連勝
・スパゲッティ・ラケット旋風 誰もがボルグやビラスの打球を打てる
 ビラスの連勝を止めたのは、選手ではなくスパゲッティ・ラケット?


下の写真は13歳の井上悦子さん
とても綺麗なグリップ(ラケットの握り)をされてます。
スマッシュ1977年井上悦子さん

スマッシュの表紙
スマッシュ1977年表紙
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 18:10 | コメント(2)| トラックバック(0)

フェデラーに伝えたい昔のコラム

2008年ウィンブルドン男子シングルス決勝の結果について、Tennis365ブログでも様々な意見がでています。またフェデラーの意欲が低下しているのではないか?という情報。

1975年、王者ジミー・コナーズにとっては運の悪い年だったようです。全豪決勝はニューカムに負け、ウィンブルドン決勝でアッシュに負け、止めは全米決勝でオランテスに敗北。
その2年後のジミー・コナーズのコラムを見つけました。

参考:スマッシュ1977年6月号 「俺の勝負哲学」ジミー・コナーズ

その冒頭の内容、1975年全米で優勝したオランテスについて語っています。(1975~1977年全米はフォレストヒルズのクレーコートで行われています)
コナーズはヨーロッパで出版された雑誌記事で憤慨、さらにその記者の観察眼と考察レベルの低さにかなり呆れた様子。
コナーズは、1975年全米決勝の戦いは、素直にオランテスがあらゆる面で上回っていたと認めています。
コナーズが憤慨している点
・オランテス(クレー巧者)がクレーコートだから勝てたという見方
・コナーズはクレーが苦手という見方・・・ところがこの大会でコナーズはボルグ、ソロモン(クレー巧者)を破って決勝進出(翌1976年はボルグを破って優勝)

そしてこのコラム内容全般から感じるのは、1975年全米の敗戦について“その日は相手が自分を上回っていたのでしょうがない”と割り切って考えているところ。

コナーズより若いボルグが早々に燃え尽きてしまったのと対照的に、コナーズは1982年にウィンブルドンで優勝するなど、30歳を過ぎても王の一人として君臨し続けます。

そうなのです。先日のウィンブルドン決勝もフェデラーにとって
“ただの負けのひとつ”
ということが31年前のコナーズのコメントから気付かされるのです。




トップ選手 | 投稿者 モモビラス 19:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

白のウェア その規則の訳は?

15年以上前の嫌な経験のお話。
横浜市民大会シングルスに出場しました。大会要綱に「原則として白いウェア・・・」と書いてありました。
大会は寒い時期でした。

白いウェアというのは気になりましたが、特に問題はないと思い、ごく普通の緑色なだけのウォームアップ(これしか持っていない)を着て1回戦に出場しました。

問題ないと考えたわけ
①市民の大会なのでわざわざ出場のためにウェアを購入するようなことは求めないはず。私は横浜市に住民税を払い、市民の務めも果たしていた。
②私的なクラブが伝統や文化を守る、創るため、入会制限をしたり、身だしなみに決まりを求めるのならまだわかる、でも市民大会なので、市民の出場規制するようなことはない。

1回戦の相手は私と非常に似たタイプで、長いラリーが続く展開となり、他のコートの試合が終了してもまだ、1セットの中間あたりの状況(3-3)でした。
その時、私は大会事務局に呼ばれました。
「大会要綱に違反した服装なので、脱ぎなさい」とのこと。
私は上記①②を表明しましたが、無駄なことでした。
ただ一人真冬のコートで白い半袖のウェアと短パンで試合を再開、後はボロボロでした。
唯一の救いは対戦相手の方が、「私も以前無理やり脱がされて懲りました」と共感してくれたこと。

若かった私は、この服装規定の問題に対して、横浜市の担当部門へ正式に意見としてまとめ抗議するということができず、悔しい思いを残したまま、年月とともに忘れていきました。

今日、突然思い出し、横浜市テニス協会のサイトで確認しました。
ウェアの色に関する規定はありませんでした。
やはり世の中はよくなっていくものなのだと思いました。

皆さんはこの話、どう感じますか?

日記 | 投稿者 モモビラス 21:36 | コメント(4)| トラックバック(0)

岡本久美子さん 輝いていた人

1965年生まれの岡本久美子さん、モモビラスと同じ学年の美人テニスプレイヤーです。
岡川恵美子さん、井上悦子さんとともに3人娘と称され、日本女子テニスを盛り上げた偉大な功労者の一人です。
この3人娘の活躍が、後に伊達公子、沢松奈生子という名選手を生み出す原動力になっています。

なぜブログに岡本久美子さんのことを書こうと思ったかというと・・・
その理由は「7月21日晴れ 見てはいけない夏休みの観察日記」から推測してみてください。
答えは日本テニス協会サイト内、プレイヤーページをみるとわかります。
・・・謎かけになってすいません・・・

私の記憶でも当時この3人に優劣をつけるのは難しく、「鎬を削る」とはまさにこの3人のテニスの挑戦を意味するようなものでした。

サントリージャパンオープンに優勝した岡本久美子さんの功績は、Wikipediaで詳細に記載されています。
またWTA公式サイトにも KUMIKO OKAMOTO (JPN) のページに歴史が刻まれています。


モモビラスの観察日記、日本テニス協会プレイヤーページそしてWikipediaの岡本久美子さんの記載、
この3つを見ると、私が何を主張したいのか、感じて頂けると思います。


そしてこれはほんの一例でしかありません。
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 12:40 | コメント(2)| トラックバック(0)

C・エバートとG・ノーマンの記憶

その昔、クリス・エバートがテニスをする女性のお手本であると同時に、テニス好きの男性にとっても女性がするテニスの象徴であったことは、以前の日記でも書いています。

エバートはその見た目からくる印象とは別に、テニスの女王であり続けるため、非常に強い意思と信念を感じる人でした。試合中の表情は、口元が少し変化するだけで、クールな印象でした。
台頭してきた最大のライバル、ナブラチロワが自らを叱咤する声を出したり、判定への不満を感情に表したり、我を忘れ、苦悩する状況と対照的でした。
そしてナブラチロワが女王の座を脅かす頃、エバートも厳しいトレーニングによって肉体の改造を行っている様子が外観に現れていたりしました。

私は1989年~1995年頃まで、テニスと同時にゴルフにも取り組んでいました。ただし今考えると、私にとってゴルフはテニスの副産物のようなものでした。私がゴルフで得た最大の収穫は、体幹の鋭い回転と腕の動きを協調させることが、ボールを強く打つ最大の秘訣・・・これを確信できたこと。

その頃、世界のトップに君臨する偉大なゴルファーがグレッグ・ノーマン。誰よりも飛ばし、誰よりも上手くピンに寄せ、そしてたくさんの優勝。ノーマンが来日した際のちょっとした事件が記憶にあります。

①大会会場が、練習場の芝の上で直接ボールを打つことを禁じていて(練習はティーアップして打つことを要求)、納得のいかないノーマンは「これでいいだろ!」と直接芝に置いた球を全くターフをとらず(芝を削らない)打ち続けるという曲芸を見せたのです。

さらにもうひとつ
②当時日本に君臨していたあるプロは、ルールやマナーに多くの問題を持つ選手、ということが一般愛好家にも知れ渡るほど有名な話でした。
そのプロとラウンドしたノーマンは、ラウンド終了後、そのプロの行為に対して激怒、直接やりあったと言う話があります。
健全な環境づくりができない日本のゴルフ組織の呆れる実態とともに、熱い男ノーマンに感動した記憶があります。
(まあ町内会長と総理大臣がけんかしたようなレベル差だったのでしょう)

強い目的を持つクールな女性と理想を追い求める熱い男、赤い糸で結ばれていたのかな?
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 21:28 | コメント(4)| トラックバック(0)

1976年のテニスシーン

1976年のテニスシーン モモビラス12歳のころ
*参考:スマッシュ1976年1月~12月号

独断トピックス
沢松和子 ジャパンオープン単複制覇
デビスカップ 対インド戦12連敗(坂井選手、神和住選手奮闘及ばず)
沢松和子引退 「ラケットは美容と健康のために握ります」
佐藤直子 全日本室内2連覇
デビスカップ スウェーデン初優勝(ボルグがダブルスにでている!)
ロッドレーバーの再来と言われ始めたビラス
札束乱舞のテニス界、稼ぎまくるコナーズ、札束時代に背を向け静かに去るレーバー
ポスト沢松 佐藤直子台頭、日本女子のリーダーへ
エンターテイメントな要素を求めるコナーズと伝統主義 どちらが正しい?
アドリアーノ・パナッタ旋風 全伊、全仏優勝
ウィンブルドン ボルグ初優勝
エバート ウィンブルドン単複2連覇
世代交代完了 レーバー、ローズウォールからコナーズ、ボルグへ
エバート 全米2連覇

下の連続写真は
日本の壁 ビジャイ・アムリトラジ
セイコースーパーテニスの練習でレンドルとV・アムリトラジの
信じられない速度の打ち合いを目撃したことがあります。
アムリトラジ

スマッシュ表紙 1月から
沢松、キング、エバート、ボルグ、グーラゴン、コナーズ、
A清村、ビラス、ボルグ、ソロモン、不明(調査中)、ラミレススマッシュ1976年表紙
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 15:49 | コメント(3)| トラックバック(0)

ナダルとフェデラーのフォアハンド共通点

6月25日の日記ナダルのフォアの不思議」で書いたことなのですが、ナダルのフォアは、インパクトの際、ほぼヒジが伸びた状態になっていて、その理由が何かあるのではないかと思いつつ、疑問をほったらかしていました。

ふとフェデラーのフォアハンド連続写真を見ると、なんとフェデラーもインパクトでヒジが伸びているではありませんか。フォロースルーのイメージがかなり違うので、気がつかなかったのですが、二人は同じ理論を実践しているようです。

【二人ともインパクト前にヒジが伸びた状態でスイングをしている】
どうもヒジを伸ばすことで腕全体を長いシャフトのようにして使っている。ヒジを曲げた上体より、シャフトの長さ(回転軸からラケットヘッドまでの直線距離)が長いので、ラケットヘッドの速度はヒジを曲げた状態より速い。(ゴルフでも長いシャフトほど飛距離がでます)

【二重振り子の理論】
それは6月24日の日記で書いた「二重振り子の原理」です。
*参考:テニスクラシック2008年7月号掲載記事「目線残しスイング」谷川健一氏

二人とも体幹の回転を、腰→肩→ヒジの順番で止めることで、ヒジから先のスイングスピードを上げています。(これもゴルフの打ち方と似ています。ゴルフの場合は、腰→肩→腕(グリップ)の順で回転を止めることでクラブヘッドを加速させます)

【二人の違い】
・フェデラーの方がラケットを押し出す動きが多い
・ナダルは肩の回転が急激に停止し、インパクト後、左肩があまり前に出ていない。そのため腕とラケットの勢いで、ときにヘンテコリンなフィニッシュに!
・反面、フェデラーは肩の回転が続いていて、右肩が打球方向に出ている。肩を回すと腕とラケットの勢いを収める場所ができるので、ナダルより綺麗なフォームにまとまっている。

ナダルは急激に肩の回転を止めることでフェデラー以上の打球の威力を引き出しているように見えます。
テク研究 | 投稿者 モモビラス 21:29 | コメント(0)| トラックバック(0)

沢松奈生子とモニカ・セレシュ

1998年頃の雑誌をパラパラめくってましたところ、印象的な出来事を見つけました。
この年開催されたトヨタプリンセスカップ98は、沢松奈生子選手の引退する大会だったようです。
この頃、私は結構雑誌に目を通していましたが、後述する出来事は憶えていませんでした。

沢松選手の最後の対戦相手はあのモニカ・セレシュ。
沢松選手は全盛期を彷彿させるプレーをしたようですが、試合はセレシュが6-3 3-6 6-3で勝利。

印象的な出来事はこの試合直後のことなのです。

ゲームセットとともに、セレシュが沢松選手を労い、沢松選手は涙ぐんでいるシーンが写っています。
そしてもうひとつの事実
“試合後、モニカ・セレシュが沢松選手と一緒に泣いていた”という記述。

モニカ・セレシュの涙の訳はわかりません。
1993年、世界NO1、20歳のモニカ・セレシュに起きた不幸な事件、数年後、心的外傷後ストレス障害を克服して復帰したモニカ・セレシュですが、再び頂点を極めることはありませんでした。
しかし、復帰後のセレシュについて、その人間性を称えるコメントを雑誌で何度か見かけました。沢松選手の試合直後の出来事は、辛い経験を乗り越え、悲しみや苦しみを理解するセレシュの素晴らしい人間性を物語っていると感じました。

セレシュの経歴はWikipediaに記載されています。
この大会から10年経った今、この事実を知って目が潤んでしまうのです。



トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:35 | コメント(2)| トラックバック(0)

秀逸!雑誌記事1

先日行った楽しい古本屋さん、そこで買った雑誌に、よく考察された秀逸なコラムを発見しました。

テニスマガジン2007年8月号
2度グランドスラムを制した男“ロッド・レーバー”その記録をめぐる時代風景
文=武田 薫氏
秀逸記事1
内容としては・・・
グランドスラムを狙うフェデラーと2度達成したレーバー、2人の時代背景を冷静に考察したものになっています。
レーバーの全盛期(1950~1960年代)は、南半球から北半球へのツアーの大変さ、グローバル化された現代と違い、年間グランドスラムという価値が今ほど重視されていなかった。一方、現在のグローバルなテニスツアー、そしてサーフェスの違いなど、グランドスラムの価値が上がっている。
どちらが凄いかという見方ではなく、この両面を冷静に比較し、考察している
・・・というものです。お手元にありましたら一読を。

日記 | 投稿者 モモビラス 20:45 | コメント(0)| トラックバック(0)

感動 王者フェデラーの戦いぶり

2008年ウィンブルドン男子シングルス決勝 フェデラーVSナダルをあらためて注意深く見てみました。それもほんのわずかの差で敗者となったフェデラー側にたって。
それで私にもわかったのです、この試合の本質が。

試合の前半に福井烈さんがナダル対策の核心をさらっと言ってます。
「いかに低い打点でうたせるか(エッグボールを打たせない)」
ただ、フェデラーはサービスで主導権をとらないと、なかなか低い打点に持ち込めない状況が続いていました。フェデラーはとにかくナダルとまともに打ち合っています。

私は他に方法があるのでは?と思い、さらに注意深くナダルを観察すると2つのことがわかりました。
フェデラーのバックハンドトップスピンもスライスも、ナダルは同じような威力で返す、すなわちフェデラーはスライスで適当につないで、ポジションを確保し、チャンスを待つことができるし、体力の消耗を減らすことができる。
チップショット(回転が多く、バウンドしても伸びず、止まってしまうような球)や死に球(同じくバウンドして伸びず止まる)をあまり上手く叩けない。

当然フェデラーは気がついているはずですが、スライスを多用したり、緩い球に持ち込む展開をせず、試合は激しい打ち合いのまま進んでいきます。

だんだんこの試合の意味がわかってきたのです。
フェデラーは全てを賭けて王の戦いを世界中に魅せているのだと。


アーサー・アッシュはロブを多用して王者コナーズを破りウィンブルドンチャンピオンとなったと当時の記事に書かれています。

しかしこの試合は真の王の試合、王が王として戦う試合だったのだと。

*鷹さん この試合のビデオ、ありがとうございました。歴史に残る一戦を最後までみることができました。
印象的な試合 | 投稿者 モモビラス 12:18 | コメント(0)| トラックバック(0)

1975年のテニスシーン

1975年のテニスシーン モモビラス11歳のころ
*参考:スマッシュ1975年1月~12月号

独断トピックス
東レシルックトーナメント(シングルス) 沢松和子優勝
グンゼワールドテニス(ダブルス) 沢松和子優勝(ペア ジュリーヘルドマン)
全豪オープン ニューカムがコナーズを破り優勝
坂井利郎全日本室内4連覇
18歳ナブラチロワ(マッスルちゃんと呼ばれている)頭角を現す
ビラス、日本では人気なし、ウィンブルドンではボルグ並みの人気なのに?
アーサー・アッシュウィンブルドン初優勝、巧妙な戦術でコナーズを破る
BJキング6度目のウィンブルドンシングルス優勝
沢松和子/A・清村ペア ウィンブルドンダブルス優勝
全米オープン オランテス優勝 巧妙なロブ、パス作戦でコナーズを破る、女子エバート初優勝
ナブラチロワ、亡命(チェコ→USA)
全日本 坂井利郎2連覇

アッシュが使った対コナーズ戦術、ロブ、遅い球を多用しコナーズのスピードテニスに持ち込まない、という方法をオランテスも使ったように見受けられます。

ウィンブルドンでのビラス人気
ビラス人気

スマッシュ表紙 1月号エバート、ニューカム、神和住、沢松、2月号レーバー、3月号ビラス
スマッシュ1975年1-3

スマッシュ表紙 4月号S・スミス、5月号エバート、6月号アレキサンダー
スマッシュ1975年4-6

スマッシュ表紙 7月号コナーズ、8月号タナー、9月号沢松
スマッシュ1975年7-9

スマッシュ表紙 10月号アッシュ、11月号ラッツ、12月号ニューカムスマッシュ1975年10-12
昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 21:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

松原理論(元祖最新打法解説) 再度注目!

以前の日記で書きました松原雄二氏の理論
*参考:テニスジャーナル1992年12月からの松原氏連載記事
6月26日の日記(テク研究)元祖最新打法解説・・・アマチュア向け理論を変えた先駆者
6月26日の日記(テク研究)元祖最新打法解説2・・・ついに理論が整理される
6月27日の日記(テク研究)元祖最新打法解説3・・・フォアハンド

モモビラスは、この松原氏の理論を集大成した一冊の書籍、100年後も残るテニスバイブルとなる書籍をつくって欲しいと思っています(テニスジャーナルの方見てないかな)。
スキージャーナルからDVDでショット別にリリースされているようですが、できれば多くの書店のスポーツ関連書籍に必ず1冊はあり、日本中の図書館に必ずある、そういう不朽のテニス書籍として発刊して欲しいのです。
例えばゴルフならベン・ホーガンの「モダンゴルフ」、デビット・レッドベターの「アスレティックスイング」のような。
知的で物理的な法則を把握していると思われる松原氏の理論は、バイブルとしての役割を果たすレベルであると確信しています。
以前の日記の繰り返しになりますが、従来打法の解説の延長である技術解説は、トップ選手の打法説明に矛盾があり、説得力に欠けていました。その暗黒の時代を終わらせたのが、松原氏理論の登場なのです。
実際、当時のテニスジャーナル読者アンケートでは、松原氏の連載が圧倒的な支持を受けており、私と同じ疑問を持っていた人が大勢いたのだと推測できます。

改めて松原氏解説の引用
 従来のテニス理論における「基本」では、トッププロの行っている打法を説明することは困難だった。そのため、彼らの打つ素晴らしいショットに対しては、彼らは特別だから、才能や腕力があるから可能なのであって、一般のプレイヤーが真似するのはむずかしいといわれ続けてきた。
 だが、実際にはトッププロたちは、きわめて高いレベルでパワーとコントロール、安定性を両立させている。したがって、もっとも効率の良い打法を実践していると考えるのが自然である。」

としてトッププロ共通の技術的要素こそが「基本」と考え一般プレイヤーも実践することを唱えています。


テク研究 | 投稿者 モモビラス 17:27 | コメント(0)| トラックバック(0)

再試打 バボラ ピュアドライブ

前回のバボラ ピュアドライブ感想についていくつかコメントを頂いたので、再度試打をしました。今回は少し長い時間、ストロークとボレーを中心に打ってみました。改めて気付いたことがいくつかあるので、2度目の感想日記になります。

参考として、最初にモモビラスの背景、状況について
ブランク期間を除きますと硬式テニスは17年ぐらいやっていることになります。ただし中級(モモビラスの定義として上級=基本技術がありかつ草大会でも安定して勝ち上がる人)から上にいけません。
テニスを始めた頃はトップスピン全盛期、そのためレギュラーサイズのウッドラケットで最初からフォアハンドはワイパースイングのトップスピン、経験年数とともにさらにグリップが厚くなりフルウェスタングリップのゴリゴリに。回転過多になってしまうのが悩み、ベースラインあたりから頭の高さぐらいに弾んだ球を思いっきり打ち込むのがわりと得意でした。
バックハンドはスライス中心、トップスピンはチャンスボール以外打ちません。
プロコーチから「柔道をやってたの?」とか「手首の力が異常に強い」とか言われるので、体格的ハンデ(背が低い)の割にはパワーがあるほうだと思います。(でも手首は8年前に壊れました)

【感想】ノーマル(27インチ・300g)モデル スタッフの方に確認したところポリストリング、55ポンドとのこと。
①打球感について
前回日記で鷹さんからのコメント「コアテックス・システムという振動吸収がグリップ上部にある、ウーハー機能というグロメットだったかホールで、インパクト時の食い込みが操作性とスピン性能を上げています」と教えてもらったので、たまに感じる“ボシュン”とか“ジュボ”という独特の感触は、ラケット構造からくるバボラの特徴ということで、気にしないことにしました。
②飛びとスピンの関係について
あきれるほど良く飛びます。最初、バックハンドスライスを競技志向ラケットと同じように打ったところ、3メートルほどバックアウト。そのため弾道のイメージを低くして、ネットのテープを狙う感じで打ったら素晴らしい打球。浅めでバウンドの低い球をバックハンドスライスで返球する場合、強くカットしないとコートに収まらないです(もしくは緩く振る)。
トップスピンは良くかかりますが、同時によく飛ぶので、バックハンドスライス同様、弾道のイメージを低くすることが必要なことに気付きました。前回の試打はこのことに気がついていなくて、元々擦り過ぎ傾向なスイングを、コートに入れるためさらに擦る打ち方にしてしまったので、“ガシャ”とフレームに当たってしまったようです。
フラット気味に打つボレーについては、距離のコントロールで「センスのいいボールタッチ」を必要とする気がします。
③スタッフの方に感想、質問をぶつけてみました
・・・よく飛びますね・・・「飛びをトップスピンによってコートに収めるのがコンセプト」とのこと。
・・スライスやボレーのときはどうするのか疑問に思い、適正テンション限界の62ポンドで張ればいいのか?・・・「ヒジへの負担、パワーがいるという点であまり進められない」
モモビラスの昔からの解決策、非常識なほど高いテンションにして飛びを抑える、という方法は封じこめられました(ラケットすぐ壊れますのでわかります、その回答)。

・・・“ボワーン”と飛ぶ感じなんですが・・・「ウィルソンのK TOUR 95 のほうが合ってるかもしれませんね。」
・・・親切で丁寧で率直なコメントありがとうございました・・・

結局、少し前まで買うつもりでいたピュアドライブ、あきらめました。
こんなに真剣にラケット選びしてるのは初めて、なんだかお腹いっぱいになってきちゃいました。




ラケット | 投稿者 モモビラス 09:28 | コメント(8)| トラックバック(0)

続16年前の伊達公子選手

昨日(7/11)の日記、「16年前の伊達公子選手」の続きになります。
*参考:テニスジャーナル1992年4月号「伊達公子のテニス」
伊達選手と沢松選手
伊達と沢松

この特集のインタビュー内容では、前年伊達選手はスランプに陥り、3回戦まで進出ができない状態、しかしそのスランプを脱したのは「気持ちだけじゃないですかね。」と技術面の変化はなかったようです。
そう言えば、久米宏さんがニュースステーションの司会だったころ、伊達選手が出演したことがあり、「打ち方のことを聞かれるのが困る、自分でもよくわからない、説明ができない」というような発言をされていた記憶があります。
この頃の伊達選手の試合を有明で見たことがあるのですが、相手の速くて深いストロークを、簡単にライジングでコースを打ち分け、ポンポンエースをとっていたのに驚きました。他の選手も観察しましたが、同じことが出来る選手はその日いくつか見た中でいなかったです。
ベストな打ち方を体で感じで実現できる天才なのだと思いました。
また同時期にランキングでほぼ同じ位置にいたライバル沢松選手について、二人で励ましあい日本テニス界を引っ張りたいという話と、しかし高校時代はもう「絶対負けない!」という本音もありました。
トップ10入りの手応えを十分感じているが、選手生活はあと4~5年という考えだったようです。
「一応女ですからね、結婚もしたいので、そのくらいには終わりにしたいなと」
将来を暗示する発言あり。
それにしても一流の人は、明確な目標と時間軸をもってますね、自分が凡人なのがよくわかります。

この他にもコーチの坂井利郎さんが技術解説をしていてそれも面白いのですが、また機会を見て書きたいと思います。
伊達フォア



トップ選手 | 投稿者 モモビラス 07:31 | コメント(0)| トラックバック(0)

16年前の伊達公子選手

例によって昔の雑誌を引っ張り出してみていましたら、見つけました、16年前の伊達公子選手。

下の写真はテニスジャーナル1992年4月号の特集「伊達公子のテニス」です。
TJ1992年4月伊達

こうしてみると、伊達さんは顔の輪郭が整っていて、ショートカットの髪型がよく似合う人ですね。今もあまり雰囲気が変わっていない感じです。
伊達さんの表情は、しっかりとした考え、強い意思を持った人という印象、あの引退したサッカーの中田選手と雰囲気がかぶります。
記事内容からわかるのは、当時21歳、WTAランキング25位、それまでの日本人女子選手最高位が井上悦子さんの26位で、それを抜くのが目標だったようです。
全然関係ない話で恐縮ですが、モモビラスと井上悦子さんは同じ年齢、モモビラスの通う高校(モモビラスは通っただけというのが周りの評価)と同じ学区でした。

この特集のインタビュー内容が面白いので、また続きを書きます。

*舅から借りてきた昔の雑誌(スマッシュ)と自分の保管していた雑誌で、部屋の中が雑誌の海、滅茶苦茶になってます。



トップ選手 | 投稿者 モモビラス 11:26 | コメント(4)| トラックバック(0)

1974年のテニスシーン

以前、舅から借りてきた昔の雑誌スマッシュの1974年1月(創刊号)~1979年12月号を活用し、当時のテニスシーンを、年毎に軽く日記の中に残すことにしました。

まずは1974年のテニスシーンからです。
独断トピックス
・テニスの神様とロッド・レーバーが呼ばれていた
・コナーズ(全豪、全英、全米優勝)、エバート(全仏、全英優勝)時代の到来
・コナーズとエバート婚約
・エバート56連勝
・強いアイドル選手の台頭 エバート、ボルグ、ビラス
・ボルグの全仏優勝、ビラスのGPファイナル優勝 トップスピン時代の幕開け
・全日本室内 坂井利郎3連覇

1974年の状況(当時モモビラス10歳)を知って、最も感銘を受けたのはロッド・レーバーの凄さ。すでに選手生活の後期になっていましたが、連続写真をみると、現代の選手に全く見劣りせず、ずば抜けた存在であったことが想像できます。
レーバーのバックハンドボレー(こんなバランスで打てる選手は現代でもいますでしょうか?)

レーバーバックボレー

スマッシュ表紙 1月号(創刊号)ボルグ、2月号エバート、3月号コナーズ
スマッシュ1974-1-3

スマッシュ表紙 4月号ナスターゼ、5月号グーラゴン、6月号パナッタ
スマッシュ1974-4-6

スマッシュ表紙 7月号ニューカム、8月号コデス、9月号エバートとグーラゴン
スマッシュ1974-7-9

スマッシュ表紙 10月号沢松和子、11月号ボルグ、12月号ローズウォール
スマッシュ1974-10-12


昔テニス研究 | 投稿者 モモビラス 17:31 | コメント(0)| トラックバック(0)

1982年、1983年フレンチオープン決勝2

・・・印象に残る試合 スマッシュが勝敗を左右・・・

前回【第1章 1982年フレンチオープン 男子シングルス決勝】では、ゲームをリードしていたビラスが、イージーなロブをスマッシュミスして、ゲームの流れが変わり、17歳のビランデルが優勝、一躍スターになったところで終わっています。話はその翌年1983年フレンチオープンになります。

【第2章 1983年フレンチオープン 男子シングルス決勝】
この年の決勝は、前年ビラスを破って初優勝したマッツ・ビランデルと、地元フランス期待の星、ヤニック・ノアという注目の対戦となりました。

マッツ・ビランデルはクレーコートでのストローク力を活かした強さだけではなく、威力のある1stサーブ、安定し、タッチのいいボレーを駆使し、オールラウンドなトッププレイヤーの片鱗を見せ始めていました。
ヤニック・ノアは、長身で非常にバネのある高い身体能力を活かしたサーブ、ネットプレイをベースに、やはりトップ選手の一人となっていました。

前年、1982年のフレンチオープンでは、ベスト4入りをかけビラスと対戦、ビラスの強くて重いトップスピンストロークに完全に打ち負けてしまいましたが、この年のノアは全く別人のプレーを見せたのです。
強く、安定したストロークでかつ持久力のあるビランデルに対して、ノアは非常に意外性のあるゲームプランで挑んだのです。

当時のフレンチオープンのクレー(アンツーカー)は、今よりも球足が遅く、強力なストロークを有するプレイヤーでなければ優勝は困難でした。普通に考えるとノアが優勝する可能性は低い、と多くの人が思ったのではないでしょうか(ノアのフォアハンドストロークは、回転過多で攻撃力、安定性で一段劣る)。その中でノアの武器は、スライス回転のかかる速い1stサーブ、鋭く高くキックするツイストサーブ、そして高い身体能力、これらでどれだけ頑張れるか・・・というところでしょうか。

試合が始まると、ノアの意外で異様なプレーが明らかになりました。
ノアは持ち前のサーブ力をベースに、ネットプレーで攻撃を組み立てました。
その中で特異で異様なプレーは2つあり、
1つは極端に弾まない、やや浅めのバックハンドスライスアプローチでした。
・・・連続写真を探したのですが見つからないので、当時のかすかな記憶を元に説明しますと・・・
フォアハンドのウェスタングリップで(フォアを打つ逆の面を使う)、極端にボールを引きつけ、上から下へラケットを引きおろす打ち方だったと思います。実際試すとわかるのですが、ボールの前に進む力はかなり弱く、回転ばかりかかります。
ボールがあまりにも弾まないので、ビランデルは特異のパッシングショットやトップスピンロブをうまく使えず、何とか上げたロブが、ノアの驚異的な垂直ジャンプによるスマッシュ(今で言うダンクスマッシュ)の餌食になり続け、試合はまるでヤニック・ノア・オン・ステージのようでした。この垂直ジャンプが2つ目の異様なプレーです。

少し脱線しますが、
*スマッシュ2008年5月号「テニスの超!基礎知識」の中でダンクスマッシュの記載があり、「サンプラスが始め、世に広めた」という記述がありますが、これは間違い!少なくとも1983年にヤニック・ノアが凄いダンクスマッシュを数々決めているのです。

本題に戻ります。
結局、試合は新クレーの王者ビランデルをノアがストレートで破り、何十年振りかのフランス人の優勝というフランスの熱狂の下、幕を閉じたのです。そのノアの後、地元フランスの熱狂とともに再びビランデルに決勝で挑んだのはアンリ・ルコント、1988年まで待つことになります。

私の友人達の間でも、ノアの不可解なバックハンドスライスを真似るのが流行りましたが、あの凄い垂直ジャンピングスマッシュは誰も真似できませんでした。当然ですが・・・

テニスクラシック1994年1月号 ノア サーブ連続写真ノアサーブ

印象的な試合 | 投稿者 モモビラス 20:29 | コメント(2)| トラックバック(0)

打球感をどう考えるの?

最近いろんなラケットを打ちました。自分ではよくわからない疑問がずっと続いています。「打球感は大事な要素なのか」で触れています、打球感と技術向上やゲーム結果が関係するのかどうか?という点。

でもラケットを試打してみると、やはり気になるのが打球感、そして次は自分の打ち方に合っているか、あとはイメージ通りの場所にボールがいくかどうか(コントロール性)。打球感は名前の通り感性に訴えてきますので、やはり理屈で考えても意味がない・・・という結論に面倒なのでしようかとも思っています。

一方でこんな仮説も立てました。
・・・結局打球感というのは、自分の技量に相当するコントロール性をイメージできる打ち応えである・・・

初心者の頃は、フォーム、筋力などの点から、軽くてスカーンと飛んでいく感触のものを選びます。

上手くなってくるとスカーンと飛びすぎることに不安を覚え、打球の距離感やスピンをかけた時の感触がイメージ通りの打ち応えのものを選びます。

さらに上手くなると、ラケットのフレーム剛性で妥協できなくなります。相手の打球に負けてラケットがたわんだり、しなったりすると不安を感じ、だんだん金属バットのような「ごっつい」ラケットを好みだし、「ゴーン」という固めの感触が得られる打ち応えを求めます。

初心者は上級者のラケットを固くて悪い感触だと思い、上級者は初心者のラケットを頼りない感触と思います。

そう考えると、好みの打球感というのは・・・学習の結果得られた道具に対する安心感であり、精神的な安定をもたらす効果があることから、自分の技術を上手く引き出す触媒のようなもの・・・なのでしょうか?

「うーん・・・何か欠けている・・・」
この続きは気が向いたら ということで・・・
ラケット | 投稿者 モモビラス 12:32 | コメント(2)| トラックバック(0)

1982年、1983年フレンチオープン決勝1

・・・印象に残る試合 スマッシュが勝敗を左右・・・
2008年ウィンブルドンの興奮冷めやらぬ今日ですが、話はいきなり26年前に遡ります。

【第1章 1982年フレンチオープン 男子シングルス決勝】
この年の決勝は、あのお方、そう、ギレルモ・ビラスVS突如現れた17歳の新鋭マッツ・ビランデルとなりました。
1977年~1979年頃はボルグ、コナーズ、ビラスがトップ3、1980年からはボルグ、マッケンロー、コナーズそれにレンドル、クレルクがトップ5を固め、ビラスはその次のグループで、やや下降線をたどっていました。
しかし1982年のビラスは著しく復調し、全仏前に、モンテカルロオープンなど確か5大会に優勝、ランキングを4位まで戻していました。
一方のビランデルは、雑誌に載るATPランクで60位台に「ウィランダー」なる名前で記述され、ほぼ無名の存在でした。

モモビラスはこの年、ギレルモ・ビラスが絶対優勝すると確信していました。その理由は2つ。
①ボルグが事実上引退していたこと。ビラスの全盛期(1977年前後)、ビラスが唯一クレーコートで勝てない相手がボルグでした。(ナダルが破ったビラスの連勝記録は1977年に達成したもの)
②この年の前半で、レンドル、コナーズなどに勝っていること。特に唯一の対抗馬、強打のレンドルにクレーコートで打ち勝って優勝していました。

大会が始まると、モモビラスの予想通りの展開になっていました。ギレルモ・ビラスは、翌年優勝するヤニック・ノアを全く相手にせず打ち勝つなど、楽勝で決勝まで進出しました。
もう片方のドローは大波乱の連続で、ビランデルがクレー強者のレンドル、クレルクを次々に破り、決勝まで進出してきたのです。ただこの時点で、ビラスの敵ではないと内心思っていました。

決勝戦は、第1セットから、強いトップスピンストロークの打ち合いで、消耗戦の様相を呈していました。しかし長い打ち合いの割りに、スコアは6-1でビラスが先取。第2セットも同じくトップスピンの打ち合いでしたが、ビランデルはフォアを厚めの当たりで打ち、ネットに出ることが多くなりました。当時はボルグ以外の誰もがビラスと延々打ち合うことを避けていました、体力に優れるビラスに優位になるからです。第2セットは6-6でタイブレークに突入、ビラスがポイントをリードしているとき、意外なことが起きたのです。

ビランデルが上げた浅いロブを、ビラスはスマッシュで強打しネットしてしまったのです。たぶん浅いロブなので、コートに叩きつけ、バックスタンドまで弾ませてしまおうとしたのだと思います。ビラスのスマッシュミスをそれまで見た記憶がありませんでした。これで明らかに流れが変わり、そのセットは7-6でビランデルがとり、以後6-0、6-4とビランデルが連取、ボルグに替わるスウェーデンの新スターが誕生したのでした。

新クレーの王者になったビランデルですが、その翌年、その新王者に予想外の展開が降りかかります。

旧クレーの王者ビラスは、結局フレンチオープンでは優勝1回(1977年)、準優勝3回(1975、1978、1982年)と控えめで、やはりボルグの存在が大きかったようです。
この続きは1982年、1983年フレンチオープン決勝2にて

写真は1982年フレンチオープンでのビラス・・・ピンボケですいません
ビラスバック
*テニスジャーナル1992年2月号
印象的な試合 | 投稿者 モモビラス 20:58 | コメント(4)| トラックバック(0)

やっと勝って 半歩前進

テニスに復帰した145歳ペアとの1戦があった日、衝撃の5戦全敗からスタートした第2期モモビラスのテニス人生。
テニス浦島太郎も8年間時が流れた間に、何がおきていたのか、徐々にわかってきました。
依然、赤いゼロ戦ラケットの替わりになる新しいラケットは決まっていませんが、無節操に試打ラケットを借りまくり、ラケットのブランドやその特性も少しわかりました。

そんな中、ようやく第2期テニス人生の初勝利がありました・・・といっても4ゲームマッチ。
小さな勝利ですが、何せ負けまくっていたので(0勝8敗)、凄くうれしいなぁー。
4-1で勝ったのですが、運がよかったところが多分にありました。
相手の一人の両手打ちバックハンドは結構威力があり、振りぬかれるとコースが全く読めなかったのですが、幸いサイドを2本抜かれたエース級の球が少しサイドアウト。
またもう一人がモモビラスのトップスピンサーブ(今でもツイストサーブと言う人もいるので安心しました)に戸惑っていたりして、ダボもなくサービスゲームが楽でした。
今までやられていた緩い球を、逆にこちらから打ってミスを誘うなど、連敗の中から得たものを少し生かすことができました。

それにしても、押すのではなく、ラケット面を入れ替えるように振り切る最近の両手バックハンドは、まともに打たれるとやばいですね。
試合日記 | 投稿者 モモビラス 12:00 | コメント(0)| トラックバック(0)

試打 ダイアクラスター1.0TP (Diacluster1.0 TP)

ダンロップ ダイアクラスター1.0TP(Diacluster1.0TP)を試打しました。

ヘッドのプレステージやヨネックスRQiS1を試打してからは、競技志向のラケットを借りています。

本題に入ります前に、
私の記事(日記)はそのとき自分が感じたままを書いています。その思ったことをインターネットで自由に表現できる楽しみを味わっています。書いた内容には、そのときの自分の力量や調子、影響を受けた考えなどが背景にあります。そのため、上級者の方、プロコーチの方、あるいは最近テニスを始めた方など、それぞれの視点でだいぶ見方がことなるかと思います。日記という性質上、思ったことを書いておりますが、ご容赦ください。
また違った見方は参考になりますので、コメントやアドバイス大歓迎です。

さて本題です。
結論からいきます。今までのところ自分に一番合ったラケットです。(テニス再開2ヶ月経過したため、調子が上がってきたこともある?)
コンセプトは競技志向でコントロール性を重視しているラケット。全てのショットをかなり打ち込みましたが、コンセプト通りだと思います。

速く振り抜いたときの違和感もありませんし、球足の長さのコントロールもしやすいです。ドロップショットやアングルなど極端に抑えたショットも、イメージに近い打球として現れますし、回転もよくかかります。
マイクロジェル プレステージ MIDも良かったですが、体力の心配、特にサーブを持続的にしっかり打てるか、不安を感じる部分がありました。
ダイアクラスター1.0TPは、競技志向のラケットを好む人に、少しハードルを下げてくれている印象、この手のラケットにしては柔らかな打球感(フレーム剛性は高い)がそう感じさせてくれるのかもしれません。
サーブは叩けば期待通りの打球が飛びますし(振らなければその通り飛びます)、ストローク、ボレーは飛びすぎの心配もなく、ゲームに適していると思います。

すでにスイングと打球のイメージが確立している方ですと、すんなり使いこなせるよいラケットではないかと思います。
ラケット | 投稿者 モモビラス 21:17 | コメント(2)| トラックバック(0)

ダブルスから見るウィンブルドン(女子編)

男子ダブルスがシングルス上位選手の参加が少ないという点で、少々寂しい感じがしていましたが、女子のダブルスはなかなか魅力的です。
以下が1980年以降のダブルスチャンピオンペア
1980年 キャシー・ジョーダン&アン・スミス 
1981年 マルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー
1982年 マルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー
1983年 マルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー 
1984年 マルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー(年間グランドスラム達成)
1985年 キャシー・ジョーダン&エリザベス・スマイリー
1986年 マルチナ・ナブラチロワ&パム・シュライバー
1987年 ヘレナ・スコバ&クラウディア・コーデ・キルシュ
1988年 シュテフィ・グラフ&ガブリエラ・サバティーニ
1989年 ヘレナ・スコバ&ヤナ・ノボトナ
1990年 ヘレナ・スコバ&ヤナ・ノボトナ  
1991年 ラリサ・サブチェンコ&ナターシャ・ズベレワ
1992年 ジジ・フェルナンデス&ナターシャ・ズベレワ
1993年 ジジ・フェルナンデス&ナターシャ・ズベレワ
1994年 ジジ・フェルナンデス&ナターシャ・ズベレワ
1995年 アランチャ・サンチェス&ヤナ・ノボトナ  
1996年 マルチナ・ヒンギス&ヘレナ・スコバ
1997年 ジジ・フェルナンデス&ナターシャ・ズベレワ
1998年 マルチナ・ヒンギス&ヤナ・ノボトナ  
1999年 リンゼイ・ダベンポート&コリーナ・モラリュー
2000年 ビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ
2001年 リサ・レイモンド&レネ・スタブス
2002年 ビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ
2003年 杉山愛キム・クライシュテルス 
2004年 カーラ・ブラック&レネ・スタブス
2005年 カーラ・ブラック&リーゼル・フーバー 
2006年 鄭潔&晏紫  
2007年 カーラ・ブラック&リーゼル・フーバー
*参考:Wikipedia
豪華ペアがいくつもあります。
上には載っていませんが1970年代には、ナブラチロワ/キング、エバート/ナブラチロワという夢のペアがあり、
1980年以降ですとグラフ/サバティーニ、ヒンギス/ノボトナ、ウィリアムズ姉妹などビッグネームが名を連ねています。
それと杉山愛選手が、4度のファイナリスト(2000、2001、2002、2003年)と素晴らしい活躍をしていると再認識しました。
ペアとして最強と評価されることが多いのは、ナブラチロワ/シュライバーペアではないでしょうか。サウスポーでパワー、テクニックも兼ね備えたナブラチロワ、長身を生かしたシュライバー、そういえば同時期男子で強かったマッケンロー/フレミングもサウスポーと長身選手のペアでした。
個人的にはアイデアの豊富なズベレワのプレーが好きで、参考にしていたことがあります・・・まあ真似しても上手くいきませんが。
女子ダブルスは観ていて非常に面白いです。

トップ選手 | 投稿者 モモビラス 15:48 | コメント(2)| トラックバック(0)

試打 バボラ ピュアドライブ

バボラ ピュアドライブ (Babolat PureDrive)を試打しました。(サーブ、ストロークのみ)

実は、モモビラスがテニスを再開してから、一番打ってみたいラケットがこれでした。非常に売れている、テニスレベルを選ばない打ち易さ、回転がかかる、といった前評判から期待していました。

結論としては「う~ん・・・?」考えさせられてしまいました。

前回の試打記事「試打 マイクロジェル プレステージ MID サフィンモデル」
のところでも触れているのですが、
・・・最近の振り抜きの良いラケットは、かえってラケットヘッドが回りすぎ、
タイミングをとりづらく、スイングスピードを落とさないと打ちづらい・・・
という矛盾を感じています。
このバボラ ピュアドライブについても同じ印象、
またフォアハンドをトップスピンで強く振り抜き、深く打ち込んだとき、ラケット厚が気になってしまいます(ガシャツとなりやすい)。

もうひとつ気になったのが打球感。その質感が悪い(安っぽい)ことです。
ピュアドライブ 定価\33,600
マイクロジェル プレステージ MID \36,750
と3150円の価格差をどう見るかにもよりますが、マイクロジェル プレステージ MIDと比較した場合、質感の違いは大きく、ピュアドライブは使用材質の割りに価格設定が高いのではないか?と感じてしまいました。
同じように軽量で振り抜きやすいブリジストン デュアルコイル2.8(6月27日試打記事)が同じ定価でも、ラケット剛性の高さを意識させない素晴らしく爽快な打球感だったこともあり、このラケットには疑問を感じる部分が多いです(発売時期の違いもあるのでしょうか)。

厳しい感想になりましたが、
ピュアドライブの、打ったときダイレクトに伝わってくる感触は好みもありますし、フラット気味に打つことに関しては楽で、サーブなども、軽いスイングで打てる感じです。
ただ、トップスピンサーブを打つ方の場合、合うかどうかは何とも・・・

どうしてもバボラという方は別として、他に選択肢があると思います。
追記 ピュアドライブの感想について
ラケット | 投稿者 モモビラス 20:40 | コメント(35)| トラックバック(0)

完璧を見た・・・もちろんフェデラーです。

2008年ウィンブルドンが始まってから、何度も信じられないものを見ています。
多くの方も同じ感想を持っていると思います、そう、あのフェデラーの試合です。

高度な技術とパワーと戦術が組み合わされた、完璧な試合であり完璧なプレー、こんな凄いものを見ることはないと思っていました。ところが、これが毎試合です、どうなってるんでしょうか?
トップ選手たちは皆同じようにテニスに全力を傾けていると思いますが、なぜ、フェデラーが桁外れに上手く見える・・・というよりも実際上手い・・・一体フェデラーはどうやって今の境地に達したのでしょうか?

昨日のサフィンとの試合、激戦を期待したのですが、フェデラーと遜色のない威力のあるショットを打っているのに、フェデラーが浅い球を返しても、ミスばかり、本当はもっと切り返して押し込めるのではないかと思うのですが・・・。

どの選手もラリーが続くのを恐れ、慌てて攻めようとして墓穴を掘っているようにも見えますし、またフェデラーの1stサーブが質、確立とも高いので、どうにもならないようにも見えます。

ナダルとの決勝、本当に楽しみです。
もしフェデラーが優勝したら、今度はダブルスで優勝を重ねてほしいと思います。
トップ選手 | 投稿者 モモビラス 14:48 | コメント(2)| トラックバック(0)

試打 マイクロジェル プレステージ MID サフィンモデル

ヘッド マイクロジェル プレステージ MID サフィンモデルを試打しました。
(ストロークとサーブのみ)

ラケット面が93SQ.IN.と小さく、サフィンモデルという名前から、打つ前は心の中でびびってました。
打って見てビックリ・・・なんと打ちやすいではないか!

従来からある競技モデルと同様の上質な打球感(ズバーンとはじけ飛ぶ爽快感ではなく、ジワーンと響いてくるような落ち着いた感触)です。以前に試打したヨネックスのRQiS 1 Tourに似た印象。
昔の競技志向ラケットと違うのは
・相当フレーム剛性が高いはずですが、硬さを感じない
・多少スポットを外しても、衝撃が少ない(素材や技術の進化?)
といったところでしょうか。

【ストロークについて】
スイングスピードを上げて強くボールを叩くと、期待通りの打球になり、コントロール性が高いという謳い文句もうなずけます。トップスピン系のボールを速いスイングで安心して振り切れると思いました。
同様にスライスもラケットの重さが生きる感じで、自然と伸びのあるバックスピンの効いた打球になります。

マイクロジェル プレステージ MIDを打って気づいたこと・・・
最近、軽めの振り抜きのいいラケットを打つことが多かったのですが、特にフォアハンドを速くスイングしたとき、違和感がありました(つまり上手く打てない)。
振り抜きがいい分、ラケットヘッドが回りすぎでしまうので、ワンテンポ、インパクトを遅らせる感じだと何とか上手くいく、あるいは厚めの当たりになるような打ち方(押し気味に打つ)にして対処していました。
私見ですが、速いスイングのトップスピナーが、最近流行の振り抜きのよいラケットを選んだ場合、ラケットにバランスをつけて重くしないと、自分のイメージに合わないのではないでしょうか。
そのような現象が起きている方には、マイクロジェル プレステージ MIDはお勧めできます。

【サーブについて】
相手の打球の威力を生かせるストロークと違い、サーブはほぼ、ごまかしが効かないと思った方がよさそうです。しっかり全身を使って、腕の内転と回内による本格的なスイングでなければ、結構厳しいかもしれません。しっかり振ればしっかり飛び、回転もかかります、手を抜けばその通りに飛びます。1日に何セットもやる方は、体力アップが必要と思われます。

まとめますと、基本が身についていて、そこそこ力がある人にはなかなかいいです。またこれからテニスの王道を目指す方にとってもいいです、ラケットがプレイヤーに、技術と体力を要求してきます。
最近のラケットに疑問を感じる方は使う価値があると思います。


ラケット | 投稿者 モモビラス 21:30 | コメント(2)| トラックバック(0)

125歳 VS 95歳

快晴で気持ちのいいある日の午前中、1セットだけダブルスをしました。
風景とラケット
相手は推定年齢計125歳の男性、こちらのペアは、私とその男性達の仲間の女性、推定年齢計95歳です。

相手ペア
・男性1は1stサーブが強く、またボレーで角度をつけたり、止めたり、テクニシャン
・男性2はパワーはありませんが、ストロークが安定している守備型
こちらペア
・女性はストロークが上手く、クロスに深く返すのが得意
・そしてモモビラス

ゲームは6ゲーム目まで拮抗していましたが、その後一気に押し切られました。ゲームカウント3-6で敗戦です。
でもとても楽しく、ダブルスゲームの楽しさを教えてもらったという印象です。

モモビラスは145歳ペアとの対戦での反省から立てた課題
・リターンをミスしない(フォア)
・相手を少しでも走らせる
・サーブのトスを安定させる
・ロブに注意し、自分は深めの位置で平行陣をとる
ことに注意しました。

概ねそれは実行できたのですが、新たな課題が浮き彫りになりました。
・トスは少し安定したが、やはりどこへ飛ぶかわからない(練習不足)
・ロブの対処はできたが、肝心のスマッシュでミス(4本打って、3本ミス)
・ゲームに集中できない、後半はボーっとしている、ポイントも忘れる
まあ一歩一歩いきます。

ところで・・・ああダブルスって何て楽しいのだろう・・・と感じたこと。
皆さん私よりだいぶ年長の方達です。
お互い仲間ということもあるのでしょうが、相手のミスや弱点を、非常にウィットの効いたユーモアで表現し、それを言われた相手も同じようにユーモアあふれる表現で返します。
それは、相手をけなすようなものではなく、人生経験と知性と思いやりから溢れるもののようでした。
私に対しても、遠慮がないように(する必要もありませんでしたが)、
「若いの!思いっきり来い!」・・・俺若い?・・・
とパワーショットを受けることを期待し、かつそれが作戦のひとつでもあり、球を打つことだけではなく、会話のやりとり、間の取り方など、年齢により少し失ったパワーを、ゲームに勝つためのノウハウでカバーしていました。
モモビラスの場合、決まるときのショットはスピードがありますが一本調子、知恵を使ってゲームを組み立てている他の方と比べると、未熟だと思わざるを得ませんでした。

40歳過ぎて、本当のゲームの楽しみ方が少しだけわかった半日でした。



試合日記 | 投稿者 モモビラス 11:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

打球感は大事な要素なのか

ラケット評価の中には、必ず打球感について触れられています。しかし打球感は何のために必要なのでしょうか?それが解っていない自分に気がつきました。
打球感と技術、あるいはゲームポイントはどう結びつくのでしょうか?(もちろんテニスの魅力のひとつが爽快な打球感であることは理解しています)

7月2日の日記「勝利とラケットの関係は?」にて書いていますが、モモビラスの過去経験(モモビラス=中級者とイメージしてください)、草大会で少し勝てるようになった頃使っていたラケット(プリンス)は、
・面が大きい
・ラケットのフレーム剛性が高い
・ガットを非常識なほどガチガチに張る
というもので、振り抜き、飛び、打球感は全く気にしませんでした。
・スイートスポットの大きさで当たり損ねを避ける
・剛性の高さでラケット性能要因でのコントロールのぶれを避ける
・勝負球は少なくともバックアウトの可能性を減らす
といったことを当時無意識に、ラケットに求めていたと思います。

その後、モモビラスのラケット選びは迷走し、テニスはスランプになりました。

技術とパワーが向上したため、ドネーのツアーモデルを使い始めました。ラケット名は忘れましたが、カラーはグレーで、サンプラスが使っていたウィルソンプロスタッフと同じぐらいの面の大きさ(要するに面が小さい)のものです。
このラケットの長所
・大きい面のラケットより、スイートスポット位置が少しラケットの先側にある、そのためサーブや、大きくスイングしたバックハンドで鋭い打球が出る
・わずかに感じる適度なしなりと重さ、インパクトの手ごたえ、打球感が良い、

反面、モモビラスにとってそれ以上のマイナスがありました。
・フォアハンドでインパクトポイントを掴みにくい、タイミングが難しい(ゴルフでロングアイアンが難しいのと同じようなイメージ)
・ラケット面の手元側に当たると全く飛ばない
より大きなスイングをラケットが求めてくるような感じになり、全てのショットのフォームに迷いが生じ、打ち方がわからなくなってしまったのです。

その後、フォームは徐々に固まってきましたが、ラケットの試行錯誤は数年続きました。

テニスを始めて10年近く経って、初めて自分に合ったラケットに巡り会いました。

ロシニョールのベクトリス6000と9000というラケットで、特徴は
・フレーム断面が三角形になっていて、当時としては異常にフレームが硬い(高剛性)
 (面の向き通りに正確に飛ぶような感じ)
・ラケット面は恐らく100SQ.IN 以下だが見た目よりスイートスポットが広い
・体の回転を使ったワイパースイング(表現古いですか?)のフォアハンドだと非常に振りぬきやすい、サーブも同様にヒジを使ったスイングがしやすい
・イメージ以上には絶対飛ばない
・打球感がすごく悪い・・・打ったときビリビリするので、上位モデルの9000を購入、少しましに

ただこのラケットの雑誌での評価や、友人達の評価は極めて悪く、軽いがやたら硬い、打球感が非常に悪い、飛ばない、が主な理由でした。どうも不人気モデルだったようで早々に市場から消えました。
・・・ベクトリスを気に入ったのはこの世で私だけ???・・・

中級のモモビラスにとって、打球感は麻薬のようなもので、練習時から爽快な打球感を求めてしまい、本来習得すべきことを忘れてしまうのです。
その後、長ラケ登場により、モモビラスのラケット選びは再び迷走するのでした。
ベクトリス9000
ベクトリス9000

ラケット | 投稿者 モモビラス 10:20 | コメント(0)| トラックバック(0)

勝利とラケットの関係は?

最近、いくつかのラケットを試打して、ふと疑問に思ったことがあります。
自分にあった打ちやすいラケットを使うことと、ゲームで勝つことは相関しているのだろうか?

モモビラスの唯一の実績は、大学3年の初夏に後輩と出た草大会、とある1DAYダブルス大会(32ドロー)での準優勝でした。
その頃は、他のいくつかの草大会でも何回か勝ち上がることがありましたが、得意なショットは何もなく、ただポイントを取るために、シンプルな考えでゲームをしていました。
例えばシングルスなら、1stサーブを入れる、リターンは深く返す、浅いボールがきたらネットに出る、といったことです。
使っていたラケットはプリンスのデカラケ(今は一般的な面の大きさですが)、とにかく振りにくく、またガットを店の人があきれるぐらい硬く張っていました。

もしかするとモモビラスのレベルでは、デカイ面のそこそこ剛性のあるラケットでガットをガチガチにすれば(バックアウトの可能性が減る)、ゲームに勝つという目的に近づくのではないだろうか?打球感や振り抜きや飛びを考えても意味がないのではないか?

いつものように山田君に聞きました。
山田君発言
「そもそもたいしたことないのに実績?
沢口靖子さんを見習えよ!(6月27日の日記 沢口靖子さん、テニスをされてたんですね)
市民大会ベスト8で“まあ実績というほどのものではないんですけど・・・”だぞ。それにその屁理屈がいけないんだよ」

「でも唯一の・・・心のささえ・・・」 そのときの賞品
賞品
ラケット | 投稿者 モモビラス 10:09 | コメント(0)| トラックバック(0)